◇記憶◇
「たくみー!どこー?」
いつものように由紀が僕を呼ぶ声がした。僕はその声から逃れようと逃げ道を探した。が、それはほぼ不可能だった。広い玄関の先はなぜか狭い出口になっているのだ。由紀はそこに陣取り僕を待ち構えていた。
 どうしよう?と悩んでいるうち、また由紀が僕を呼ぶ声がした。声は由紀が発した方向からだけでなく、天井や壁など四方八方からまるで僕を追い詰めるように聞こえてきた。どうしてこの小学校はこんなに声がこだまするのだろう?と、僕は不思議がるより先に迷惑を感じていた。コンクリートを打ち放っただけの壁や天井は灰色で、木造であれば天板に当たる部分はコンクリートに混ぜた玉石まで露出している。それらはの或る種の造形美を表しているらしいのだが、普通の小学生がそれを理解出来るかは大いに疑問だった。それどころか教師やPTAの親たちだって、ほとんど理解は出来ないだろう。この小学校の卒業生にあたる有名建築家の設計だというが、その頃の僕は、ただこだまを増幅する為に作られた洞窟のような印象しか受けなかった。
「たくみー!もう!どこに隠れたのよー!」
由紀の甲高い声が分厚いコンクリートの洞窟にこだました。由紀の声はとてもよく響く声だった。高音なのにとても厚みがあるのだ。それは彼女の自信に満ちた姿とよくマッチした。その声は洞窟の天井や壁にぶつかり螺旋を描いて僕を狙い撃ちしてきた。
 この頃、僕は毎日由紀から逃れるのに一生懸命だった。下校時に由紀の声が聞こえると慌てて身を隠したものだ。由紀は、僕を拘束したがった。なぜ由紀がそんなことをしたかというと、由紀の女の友達はみな毎日のように塾通いしていたから放課後、彼女は一人になってしまうのだ。だから、一緒に遊ぶとすればやはり塾通いをしていない僕くらいしかいなかったからだろう。
 僕の男の友達も皆塾通いをしていたので、放課後は僕も一人だった。でも僕は僕なりにやりたいことがあった。例えば街場のゲームセンターに行ったり――お金が無かったから、人がやっているのを眺めているだけだったが、それでも楽しかった。ところが由紀はそんな僕を許してくれないとでも言うように、自分のしもべのごとく連れ回した。何をするという訳でもなく、ただこの街の中を散策するだけのことだった。
 これが憧れの女の子であれば僕は嬉しかったに違い無い。しかし由紀は真っ黒に日焼けして男の子みたいだったし、何より僕の妹だったのだ。同級生だったが由紀と僕は兄妹だった。

「早く出てきなさいー」
僕は、下駄箱の陰に身体を隠した。あんなに高いと思っていた下駄箱がいつの間にか自分の背丈と同じになっていたことに気付いた僕は、慌てて身を屈めた。すると、知らぬ間に背後にいた悪友達の、小さな笑い声が聞こえてきた。
「卓巳くん、返事してやった方が良いんじゃないの?」
と悪友達の一人が、にやけながらお節介を言った。しかし彼らがそう言って愉しんでいるだけなのを、僕はよく知っていた。だから右手を左右に振って拒否した。しかしそんな遣り取りをしている様子が廊下の向う側から見えたらしい。由紀らしい足音がこっちに近付いて来た。
「ナオ!そこに居るんでしょ!」
詰問するような由紀の声が間近でした。しかし僕は諦めず、一層背を丸めて下駄箱の陰に隠れた。僕は、どうしても今日だけは由紀から逃れたかったのだ。
 今日は淳司の家でみんなでゲームをする約束をしたのだ。そのゲームというのも、今テレビでコマーシャルをやっている新製品で、大変な人気商品のため予約しても三ヶ月は手元に届かないというシロモノだ。それを発売当日、淳司は手に入れた。正確には父親が仕事のコネを使って買ってくれたらしい。そんな貴重なゲームを淳司はやらせてくれるという。僕はこんな良い友達を持って幸せだと思い、大袈裟にも神に感謝した。友達もみな塾をさぼって淳司の家に行くことになった。僕は今日一日、ゲームをする様を想像しただけでわくわくし、ぼーっとして過ごした。気付くと全ての授業が終わっていた。もっとも小学校の授業のことだから一日くらい聞いていなくても大したことはない。それよりぼーっとしていたお陰で、あっという間に淳司の家に行ける時間になったことに小躍りして喜んでいたのだ。
 あとは由紀から逃れるだけだった。由紀に捕まってしまうと淳司の家に行けなくなってしまう。だから今日だけは由紀に捕まる訳にはいかなかった。その為に僕はいつもより早く教科書を片付け、まだ誰も居ない玄関に走っていった筈だった。
 ところが、まるでそれを見越したように由紀は玄関の外で待ち構えていたのだ。

 僕は下駄箱の陰に隠れたまま靴箱から靴を取り出した。それを胸に抱え中庭の方へ逃れようと考えたのだ。中庭からグラウンドに出て、そこを横切り校舎の裏口から外へ出るのだ。先生たちに見付かったら叱られるが、そんなことは構っちゃいられない。
 ところが、僕のその考えに気付いてか、またもや悪友達が邪魔を入れてきたのだ。「由紀ちゃん!卓巳君、裏口から逃げようとしています!」
まったく友達甲斐の無い連中だ、そう思って僕は彼らを睨み付けた。しかし悪友たちは一向に意に介さないらしく面白そうににやけていた。彼らは僕が由紀に見付かる様を見て愉しんでいるのだ。僕は心の中で舌打ちしながら、人差し指を唇の前に立てて「しーっ!」と悪友達をけん制した。
「早く出てきなさい!」
由紀が怒ったような声を上げた。由紀の大きな足音が聞こえる。わざわざ僕に聞こえるように、大きい足音を立てて歩いているようだ。僕は由紀が歩く方向とは逆に動いて上手く下駄箱の陰に隠れた、いやそのつもりだったのに、由紀はいつの間にか僕の後ろから近付いていたのだ。僕が「しまった」と思った瞬間には、由紀に首根っこを摘まれていた。どうやら大きな足音は罠だったらしい。僕が反対に動くように仕向けられたのだ。
「早く行くよ!」
そう言うと由紀は、まるで泥棒猫を摘み出すように僕の首根っこを掴み、引き摺って行った。



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