※テレビ版の「のだめカンタービレ」の続きを勝手に書いてみました。

(所謂二次小説で、本物とは一切関係ありません)



時間などあっという間に過ぎてしまう。真一がふと顔を上げ、カレンダーを確認すると今日は雅之のコンサートだった。まだ何も解決していなかった。あれから毎日、方々の事務所を回ってみたがすぐに契約してくれそうなところはどこもなかった。いっそ教師にでもなろうかと音楽学校を片っ端から電話してみたがどこも枠はいっぱい、新年度まで待たねばならない。もっともその気になれば母方の三善家の脛を齧ればいい。男としてのプライドを捨てさえすれば生活などなんとでもなるのだ。問題は雅之の音楽が相変わらず理解できないことだった。毎日、あの日の演奏を収録したCDを聴き直した。繰り返し、音色の一遍までも鮮明に記憶されるほどに。しかし、何度聴いてもあの幻想に悩まされ、分析することなどできないのだった。真一は立ち上がり、服を着替えた。本棚の楽譜の列の中に差し込んだチケットを探ると、意思を持っているというようにするりと手の平の中に滑り込んできた。突然、あのチケット売り場の中年女性を思い出した。彼女は雅之を「ストイックな音楽の求道士」と呼んだ。思いがけぬ言葉。いつも奔放に、思うが侭に生きてきた父とは似ても似つかぬ、まるで別人のようだ。もっとも彼女は普段の雅之を知っている訳ではないから、コンサートを通してそう感じたのかもしれない。第一、彼女の言葉を借りるなら「日本人ってみんな似て見える」そうだから、欧州人はたいてい日本人をそう見ているだけかもしれなかった。しかし、もう一つの言葉が真一の心に引っ掛かった。

「聴く度に彼は進化しているわ」

と言った。すると現在のような演奏をし始めたのはいつからなのか?真一は中年女性の言葉を更に思い出した。

「去年聴いた時、殺されるのかって思ったものよ。だって子供の頃から今までの悲しいことから楽しいことまで全部思い出させてくれたんだもの」

つまり、あの演奏は去年からに違いない。それ以前の演奏を聴いてみるか?できれば年代別に聴いてみたい。収録したCDはあるだろうか?パリ中の店を探してみるか!その時、真一の脳裡に中年女性の顔が浮かんだ。彼女なら知ってるだろう。あるいは持っているかも知れない。真一は時計に目をやった。5時15分。開演は6時だったからなんとか間に合う。行って見よう。真一はワイシャツの胸ボタンを留めるのももどかしくアパートメントを飛び出した。


「あの、昨日ここに居た女性は?」

「女性?誰のことかなー?ここはわし一人でやってるんだが」

「え?そんな。昨日、ここにいた女性ですよ。金髪で、中年の、こう横に太った」

「ははは、まあ、太った人は大概横に太ってるがね、ははは、でも何か間違えてるんじゃないかな?さっきも言ったようにここはわし一人で任されとるんだよ」

初老の痩せた、キリギリスのような男は到底嘘を付いたり悪い冗談を言うような人間に見えなかった。むしろ実直に日々自分に与えられた仕事を黙々とこなすタイプだろうことは、その温和な笑みを強調する頬の深い皺が如実に表していた。真一はこれ以上食い下がるのはやめた。それは彼に対して失礼な行為に思えたからだ。諦めてコンサートに行こう。明日でも明後日でも、今のオレには幾らでも時間があるんだ。無駄に思えるほどの時間が・・・真一は初老の男に、ちょこんと頭を下げると歩き始めた。

「おい君!」

ふいに初老の男が真一の背中に声を掛けてきた。