僕らは髭おじの家を出た。僕はなるべく家から遠くに行こう思った。昨夜以来、僕らは近所の大人たちの好奇の目に晒されていた。そして今も誰かが僕らのことを監視しているような気がしたんだ。由紀も僕と同じことを考えていたらしい。僕らは並んで袋小路を出ると目標も無く歩き出した。
 由紀が僕の顔を見て微笑んだ。それから突然
「さよならだね、たくみ」
と言った。僕にはしばらくその意味がよく分からからなかった。いや、正確に言うと意味は分かっていたが、実感が湧かなかったんだ。こうしていつもどおりに僕と由紀は一緒に小学校から帰ってきたんだ。友達は皆、塾へ行ってしまった。僕らはいつもどおり二人切りだった。
 ただ違ったのは、僕はいつまでも由紀と二人でいたいと思ったんだ。これまでと同じように友達が皆、塾へ行ってしまった後、僕らは二人で山に登ったりする。川へ行って小石を投げたりして、いつ終わるとも知れない無駄な時間を費やすんだ。でも、そんなことを一度も望んだことが無かった昨日までは、本当にそういう時間が永遠に続くんじゃないかって思ってた。本当にそんな時間が無駄な時間だって思えた。でも今は、今すぐにでもそんな時間がお仕舞いになってしまうかもしれないと思った。
 そうして僕はまた、一人の時間に戻るのかもしれないと思った。それは6年前の日、由紀と母の美和が僕と父の住む家に訪れる前の日々だ。僕は何も無い家で、誰も居ない部屋の中でただうずくまっていた気がする。何をしていいのかも分からず、何もしてはいけない気もしていた。僕が動き回るだけで父に迷惑が掛かる気がしてたんだ。だから僕は、保母さんに連れられて保育園から家に帰ると、ずっと家の中でじっとしてた。それは小学校に入る直前まで続いた。そんな僕を部屋から出してくれたのは由紀だった。

「あそこ」
ふいに由紀の声がして、僕は過去を思い出す作業を中断した。そして由紀が突き出した指を見た。その指は僕の背中側を指し示してた。僕は、その方向を振り返るようにして見ると市役所があった。
 小さな街の父さな市役所は、いつの時代に出来たのか分からないほど古かった。外壁の到る所にひび割れが入っていた。僕らが生まれた頃、景気が良い時代に何度か建て替えの話があった。でもつい機会を逃してしまった。もう今は建て替えたくてもその予算も見込ないらしい。街が無くなるか、庁舎が倒れるかどちらが先だろう、などと年寄り達が笑い話にするほどの有り様だった。
 そんなだから歩道から少し背伸びすると庁舎の中が覗けた。由紀が促し、僕らは歩道と車道を遮るガードレールの上に載った。ガードレール際に立つ、標識に掴まって立った。すると庁舎の大きな窓から中がすっかり見えた。
 部課の標識が天井から吊るされている。その中から「水道課」の字を見つけた。マサ兄の所属する課だ。マサ兄の姿は見当たらなかった。どこかに出かけているようだった。
「美穂さんだ」
由紀が呟いた。水道課の手前に美穂が座っていた。そこは市役所の窓口だった。遠めにも見栄えのする由紀の顔は、表情までよく見て取れた。ちょうどお年寄りが何かの相談に来たらしい。熱心に応対していた。そんな応対を三人ほど続けた後、手が空いたらしく机の上を拭いたり、書類を整理し直したりしていた。だが、すぐに手持ち無沙汰になったらしい。そのうちぼーっと窓の外を見上げ始めた。
 その時、僕らは彼女の瞳に涙が溢れ始めるのを見た。彼女の大きな瞳をいっぱいにし、今にも零れ落ちそうなほどだった。一度どこかから零れ始めればそれは止め処も無く湧き上がってしまいそうだった。僕らは心配になって、身を乗り出した。一瞬、美穂の視線が動いたのを感じた。美穂が僕らに気付いたのだ。僕らは眼が合った気がした。すると美穂は席から立ち上がった。周りの人に何か頼んでいる様が見えた。それからあっという間に僕らの前まで走ってきた。
「危ないよー、そんなとこに乗ってたらー」
と美穂は髪をたくし上げながら駆け寄ってきたのだ。
「もー、お転婆さんだねー」
と言うと僕らを抱き抱えるようにして、ガードレールの上から降ろした。
「どうしたの?正夫君に会いに来たの?」
僕らは首を横に振った。
「違うの?」
美穂は首を傾げた。僕らは美穂に会いに来たのだ、と告げた。
 美穂は僕らを市役所の休憩コーナーに連れて行ってくれた。僕らは長椅子に座らされた。
「はい、溢さないようにね」
自動販売機で、僕らに一つづつカップのジュースを買ってくれた。美穂は僕らの只ならぬ様子に気付いていたようだ。それで僕らを放っておくのが心配になったらしい。由紀は、何かありふれたことを言おうとして、口に出す前にやめた。そうして意を決したように話し始めた。
「ね、変なこと訊いていい?」
僕らは同時に頷いた。僕らも、彼女にその話を聞いて欲しかったのだ。けれど子供の僕らからどう切り出していいのか分からなかったんだ。
「お父さんとお母さん、本当に離婚しちゃったの?」
僕らはまた頷いた。そこで取り敢えず、近所の髭おじの家に荷物を置いてある、と言った。
「じゃ、由紀ちゃんは今日もそこへ泊まるの?」
と問われ僕らは困惑した。言われてみれば、いつまでも髭おじのところに居候する訳にもいかない。髭おじの家は狭いし、僕の家と同じ隣組だからいつ父が怒鳴り込んでいくか分からない。かと言ってどこか他に行く宛ても思い付かなかった。
「まさか正夫君の家に行く訳にも行かないよね」
マサ兄の家は父の実家でもあった。祖父母もこんなことになっては困惑しているだろうし、やはりいつ父が押しかけていくか分からない。となるとこれから母と由紀はどこへ行くんだ・・・
 僕がそんなことを考えている間に突然由紀が声を張り上げた。
「ご免なさい」
それだけ言うと俯いて顔を上げようとしなかった。両手を膝の上に付き、うな垂れたまま動こうとしなかった。言われた美穂はと言えば無理矢理作った笑顔がぎこちなかった。
「何言ってんの由紀ちゃんが悪い訳じゃ・・・」
通り一遍の慰めを言おうとし、しかし途中でやめた。それから美穂は僕らとは逆の方向顔を向けると少しの間、黙り込んだ。そのうち僕は美穂の肩が小刻みに震え始めているのに気付いた。
「あんたねえ、謝ればそっちはすっきりするかもしれないけど、謝られたこっちはどうなんのよ。怒ることも出来ない、恨み言をいうことも出来ない。自分だけいい子になってないで。少しはこっちの身にもなってよ」
美穂の声はいつも明るく高音だった。なのに今、彼女の口から聞こえてきたのは聞いたことも無いような低い声だった。まるで呪いの声ようだと僕は思った。
それから美穂は指で額を押さえた。髪が顔に掛かりどんな表情か分からなかった。覗いてみたい気もしたが、やはりこれは見てはいけないだろうと思った。こちらに表情が見えない姿勢のまま美穂は呟くように言った。
「あなた達のいい叔母さんになれると思ってたのに、楽しくやっていけそうな気がしてたのに、何でこうなっちゃうんだろ」
そうした啜り泣きを始めた。何人もの大人達が僕らの前を通って行った。市役所に用があって来た人や、市役所の職員もいた。皆一様に驚いた顔をして、しかしそ知らぬ風を装って歩き去って行った。中には「あれは・・・」と美穂や僕らの事情をひそひそ話しする者もいた。しかし美穂は構わず涙を流し、啜り泣きを止めなかった。僕らは居たたまれなくなって立ち上がり、美穂に向って頭を下げると市役所の外へ走り出た。逃げ出したと言われても仕方が無い。僕らはたしかに美穂から逃げ出したのだから。


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