その晩遅くに、母と由紀は荷物をまとめ、家を出た。出たといってもこんな真夜中であるし遠くに行くことなど出来ない。取り敢えず髭おじの家に泊めて貰う事になった。これから先どうするのか僕には想像も出来なかった。考えてみれば母の実家には行ったことが無かった。だからどこにあるのかも知らない。母から話も聞いたことが無かったので、きっとどこか遠いところにあるのだろう。僕はそう勝手に思い込んでいた。
 そういえば母の実家は由紀も知らないらしい。父方の実家に遊びに行った時ふいに由紀が
「おじいちゃんとおばあちゃんが居るのっていいなあ」
と言ったことがあった。僕が
「そういえば由紀のおじいちゃんとおばあちゃんは?」
と訊ねると、首を傾げながら
「さあ、会ったこと無いし名前も知らない」
と言っていた。しかし今にして思うと、母にとって実家は帰る場所では無かったのだろう。
 僕の家から髭おじの家に荷物を運び終わった時、母が僕の頭に手を置いた。
「お母ちゃん居なくても眠れる?」
僕がゆっくりと頷くと、母はしがみ付くように僕を抱き締めた。それから僕の顔を見詰めた。
「ご免ねたくちゃん!父ちゃんが悪いんじゃないの。母ちゃんが悪いのよ」
母は鼻を啜り上げ、それとともに涙を堪えたように見えた。そしてもう一回、僕を抱き締めた。

 三軒隣の髭おじの家に越しただけだったから、翌朝も僕と由紀は一緒に学校に行った。
 校門を抜け、玄関に入り靴を履き替えていると後ろから声を掛けられた。知らない子だった。
「よお、お前らもう兄妹じゃ無いんだろ。なんで一緒に登校して来んだよ!」
よく見ると隣のクラスの子だった。が、一度も話したことなど無い子だった。彼はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら僕と由美を交互に見詰めた。
 初め僕はこいつが何を言いたいのか意味が分からなかった。でもこいつの大人のように歪んだ笑い顔を見ていたら、こいつが何を言いたいのかが分かってきた。つまりこいつは僕の父と母が別居したことを知っているのだ。僕は腹が立つより先に、少々面喰った。なんでこんな奴が僕らの家のことに詳しいのか不思議に思ったんだ。それは由紀も同じだったらしい。普段ならすぐ反論する彼女が、この時はただ眉を顰めたまま黙り込んでいた。
 自然、僕らは彼を無視する形になった。すると彼は言った。
「無視してんじゃねえよ!みんな知ってるぜ。お母さんが言ってたんだ。昨日、電話があったって」
「電話?どこから?」
僕が尋ねる前に由紀が彼を問い詰めるように言った。
「誰があんたの母親に電話したのよ!」
「し、知らねえよ!でも、みんなの家に電話が着てるさ!」
彼は登校してきた同年の子達に同意を求めるよう言った。すると
「来た来た、うちへも来たよ。卓巳と由紀の両親って離婚したんだろ!」
「もともと血が繋がって無かった訳だしいいんじゃない?」
「お母さんが原因らしいって言ってたわ」
「でも、すぐ隣の家に引っ越したらしいじゃん」
「まあ、再婚同士だからいつそうなっても不思議は無いって」
などと皆、朝の挨拶変わりに口々に言い放った。

 昨夜の事件が、近所の大人たちの口を通じ、昨夜のうちに街中に知れ渡ったらしい。
 大人たちは、僕らの知らない連絡網を使って、僕らの家の一部始終を観察し伝えていたのだ。僕らの秘密は既に秘密ではなくなってしたし、僕ら家族が空中分解するということも既成事実となってしまった。僕らが気付いた時には、もう後戻り出来ないところまで進んでしまっていたのだ。それも何の関係も無いと思われる見物人達によって。当事者である僕ら家族はドラスチックなテレビドラマのような結末を用意されてしまっていた。僕らは既にそのシナリオに逆らう力を残されていなかったのだ。
 その日の帰り道、僕の友達は皆一目散に塾へと走り去ってしまった。よく考えると、普段と何一つ変わらないことだ。というのに僕は疎外感のを感じた。幾通りにも並んだ背の高い下駄箱の間で、僕は孤独を感じていた。僕と同じ列でも、背中側の列でも、下駄箱の反対側の列でも沢山の生徒が靴を履き替えているというのに、その音や話し声が幾重にも聞こえるというのに、まるで遠くの国の出来事のように僕と無縁のものに感じたのだ。目に見えない幕の向うの出来事のようで、話し声など何を言っているのかさえ理解出来なかった。
 僕が一人で靴を履き替えていると、隣に人の気配を感じた。もはや僕と同じ世界に住む者は誰も居ないのだとなどと勝手に孤独感に苛まれていた僕は、顔も上げずに知らないふりをした。しかし足元だけは自然と目に入った。それは僕のよく見知った脚だった。顔を上げると由紀が寂しそうな微笑みを浮かべていた。
 由紀は僕に何も話し掛けず、黙って靴を履き替えた。僕は、由紀のそんな顔を見詰めた。父が酒に酔って暴れた最悪の夜でも、事が一段落すればいつも涼しい顔をしていた。僕の方と言えばいつまで経っても興奮が覚めず、眠れない時間を過ごしたというのに由紀は何ごとも無かったかのように寝付いてしまうのだった。だから僕は、由紀の悲しい顔なんて見たことが無かったのだ。
 そのまま僕らは一言も口を利かず、しかし周りから見れば仲良く並んで校門を出た。
 校門の外は僕らと同じように下校する生徒が沢山歩いていた。しかし、僕らに関心を寄せる者はいなかった。朝そして授業と授業の合間の休憩時間に、さんざん僕らの噂話をし尽くし、もう飽きてしまったらしい。

 いや、これは大分後になって考えたことだが、大人たちと違い子供には実感が湧か無かったのかもしれない。僕らの家庭に起こった事件について、大人たちが感ずるような生生しさを、子供達では感ずることが出来なかったのだ。だから彼らにすれば単に、僕らの父と母が喧嘩したとか、その程度の感覚しか持てなかったに違い無い。お陰で彼らは下校時までに飽きてくれた。それは僕らにとって幸いだった。僕らとは勿論、由紀と僕のことだ。
 問題は僕ら自身が、それに飽きてしまわなかったことだ。
 授業と授業の間の休憩時間、色んな生徒が親からこう聞かされたと僕らに関する噂話をしていた。そしてお節介な生徒が、それを聞いてきて、僕と由紀に報告してくれた。また、将来シナリオライターにでもなるつもりなのか、幾つかの話を勝手に繋ぎ合わせ、僕も由紀も知らない裏話を作って披露してくれた。僕らはそれを聞く時、初めこそ少し嫌な気持ちになったが、次第に慣れてきてまるで他人事のように聞き入っていた。そして彼らの妄想の中に、真実と思われる話――身に憶えのある話が幾つか混じっていることに気付いたんだ。僕らは好むと好まざるとに関わらず、父と母の間にあった真実を、大枠ながら想像してしまった。
 僕らは――僕と由紀は、時間を負うごとにその想像が膨れ上がっていくのを押さえられなかった。一刻も早くその想像が正しいか否かを確認しなければ、僕らの心は破裂してしまいそうだったのだ。
 僕らはまっしぐらに髭おじの家に入った。粗末な引き戸は鍵が掛かっていない。こんな粗末な家に盗人が入ることも無いだろうから、髭おじはいつも鍵は掛けないのだ。案の定、鍵穴は錆付いていた。
 そこに母はいなかった。どこかへ出かけたらしい。もっとも僕らは母より髭おじに用があったのだ。僕らは髭おじに教えて貰いたかった。僕らが今日、聞かされたことが、あるいはそこから僕らが想像したことが正しいか否かを。勝手に上がりこみ、見回してみたが髭おじはいなかった。便所も覗いたがいなかった。僕らは仕方なく、家から出て、外を探すことにした。
「おお、帰ったな」
僕らが玄関の引き戸を締めた時、僕らの背後から聞きなれた声がした。髭おじだった。
「元気に帰って来たのう。関心、関心」
髭おじは本当に嬉しそうな笑みを浮かべ、僕らを見下ろした。彼は何ごとも無かったというように振舞っていた。この場合、僕らも何事も知らない振りをするべきなのだろう。でも僕らは――僕は勿論、由紀だって髭おじに本当のことを聞きたかったのだ。僕は我慢できず、疑問を口にしようとした。でもそこで一度立ち止まり、由紀を見た。いつもなら僕が言いたいことを、由紀が先に言ってしまうのに、今日の由紀は黙り込んでいた。
 由紀は俯いたまま口を結んでいた。開けなかったと言った方が良いのかもしれない。由紀はいつも僕よりずっと強気で、物怖じなどという言葉とは無縁の筈だった。なのに、髭おじを目の前にして小さく縮こまっていた。老婆のようだと僕は思った。彼女はただ眼差しだけ上目遣いに髭おじを見ていた。それは願っているようでもあった。
 何を?由紀が何を願っていたのかについて、きっとこの時は僕は勘違いしていた。髭おじに本当のことを話して貰いたいと願っているのだと思ったのだ。でも由紀は、僕よりずっと大人たちのことを分かっていて、だから彼女が願っていることも、そんな野次馬みたいなものでは無かったのだ。
 しかし何も知らぬ僕は、髭おじに僕らが今日学校で聞いてきた話の全てを話した。口下手な僕にしてはよく話せたと思う。その証拠に髭おじは酷く狼狽し、蒼褪めていた。
「まったく!この街の連中ときたら!」
震える指で煙草に火を付けようとしたがなかなか付かなかった。そしてようやく火が付き、一息深呼吸するように煙を吸い込むと、それを吐き出す勢いで
「お喋り野郎ばっかりだ!」
と吐き捨てるように言った。髭おじの様子から、僕らが学校で聞き、そこから想像したことが概ね正しかったと僕は察した。そして悪い予感が当たったような気分になり、がっくりと肩を落とした。
「だが、正夫を恨んじゃいかん!母さんも恨んじゃいかんぞ!」
髭おじがそう叫んだ。そして
「どうしようも無いことなんだ」
と溜息のような声を出した。
 つまり、事の顛末はこんなことだった。僕らの母は、僕らの面倒を見に来てくれるマサ兄と愛し合ってしまった。マサ兄は父の弟だ。だから二人は苦しんだ。しかし結局、昨日父に全てを告白したのだ。そして父は激怒した。そこへ僕らが帰って来た。僕らが昨夜目撃したのは、まさにその現場だった。結果、父と母は離婚することになった。
 僕らの知らないところで大人たちは蠢き、問題を起こし、結果僕らは不幸になるのだろうか?なんて勝手なことだと僕は腹が立ってきた。しかし、その腹立たしさのもって行き所が無かったことが、更に僕の心を掻き毟った。これまでであれば、不幸の種は全て父だった。だから父を恨めば良かった。しかし今回だけは、父の言う通りたしかに父は犠牲者と言えた。実際、僕らに不幸を与えようとしてるのは、僕らの大好きなマサ兄と母だったのだ。
 しかし僕は裏切られた、などという気持ちは湧いてこなかった。マサ兄と母が結ばれればいい、と僕らは考えていたからだ。でもそうなった時、僕らは家族では居られないなるんだ。正確には、僕は家族では無くなる。新たにマサ兄、母、由紀の三人家族になるのだ。僕はマサ兄の甥っ子ということで家族の一員にして貰いたかった。でもそうなると父が一人になってしまうのだ。父を捨て叔父の家族になるなんて世間が許してはくれないだろう。
 僕はこれからどうなるんだろう?と考え悲嘆に暮れた。

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