婆さんに促されて、わたしは鍵を開けた。かつてわたしと父、義理の母、連れ子だった妹の4人で暮らした家だ。父が長野市の老人施設に入所して以来、誰も開けていないのだろう、錆付いていて開けるのが一苦労だった。ギシギシと軋む大きな音を立てようやく開いた
「変わっとらんだろ」
玄関から室内を見上げながら婆さんが言った。わたしは婆さんの隣りに立ち竦んでいた。そこには、わたしがここを出て行った時のまま変わらぬわたしの家があった。入り口の正面の壁、その上方にはわたしが小学校の頃、一度だけ賞を貰った鶏の絵が額に入って飾ってあった。夏休みの宿題に描いた絵だ。それほど絵が得意な訳ではなかった。ただ鶏冠の赤の色が美術教師に気に入られたのだ。たしかその時、赤の絵の具が無かったから母の紅を拝借したのだった。鶏の鶏冠の部分は色褪せた今も、独特の色を放っていた。
「さあ、入ってみれや」
促されてわたしは靴を脱いだ。板の間や古びたカーペットの埃が気になったが、二三歩あるくと靴下が埃まみれになったお陰で、逆に吹っ切れた。わたしは埃が付くのを気にすることなく、自由に部屋の中を歩き回った。居間に入ると古い型のテレビがあった。ここで義母はテレビを観ながらよく繕い物をしていた。男子のわたし以上に、妹は服を破いた。勉強も出来たし運動も出来たがその分、お転婆だったのだ。
「おう、運動会だなあ」
隣りの部屋から婆さんの声がした。
「ほれ、見てみれや、おめさんが写るっとるぜ」
わたしは足早に近付くと、老婆から写真を受け取った。そこには父とわたし、そして老婆の3人が写っていた。義母と妹が写ってないのが不自然に感じられた。
「わしもご相伴に預かったんだった。健介さんが握ったもんだから、こんなにでっけえ握り飯での。とっても食い切れんかった」
老婆は思い出話に頬を緩めた。
「健介さん?」
「ん?あ、ああ。あ?」
「って誰?」
わたしの質問に婆さんは
「おめ、何言ってんだ?」
と首を傾げながら
「自分の父親の名前だろ」
そう言って困惑を隠すように笑った。
 父の名は健介だったか?わたしは記憶を手繰ってみたが、分からない。父はなんという名はだったか?たしか昨日、長野市介護施設の受付で父の名を告げた気がする。あれは何と言ったのだったか?
 わたしのそういう困惑に気付いたらしい。
「おめえ、本当に卓巳だよな。北原卓巳。うん、まあその顔は間違えねえ」
婆さんはわたしの顔を見詰めたまま腕組みした。
「やっぱ病院でよく観て貰った方がいいしねか?」
「いや、ここのところちょっと疲れててね。会社でいろいろあって、それで退職することになって。ついでに妻とも離婚したんだ。だから、ちょっと・・・それだけだよ」
怪訝そうにわたしを見詰める婆さんの視線から逃れ、西側の部屋に行った。そこは僕らの寝床だった。まるで、さっきまで誰かと誰かが寝ていたとでもいうように、二組の布団は敷かれたままだった。一箇所だけ捲くれ上がっていたのは、起きた際にそこから抜け出したのだろう。掛け布団の柄から二つとも子供だ。青と赤があるということは男の子と女の子だ。
「おめえと由紀の布団だ」
 妹の名を聞いてふと思い出した。婆さんは昨夜、酔って『迎えに来たんだろう』と言った。あれはどういう意味だったのか?
「寝てたとこな、無理矢理みてえに連れてかれちまってそのまんまになっちまった。でもおめえにとってはそれで良かったんだろう」
わたしは記憶を隅々まで探ってみたが、婆さんの言うことが分からなかった。『無理矢理連れて行かれた』誰に?『それで良かった』何がだ?
 第一、この部屋はなんだ?わたしは台所に行ってみた。流しには皿や茶碗が無造作に突っ込まれていた。食器洗い用のプラスチックの桶に入ったそれらは、分厚い埃に変色していることを差し引けば、まるで昨夜、食事を終えた状態そのままだった。
 どう考えてもおかしい、そう思った。わたしたちの家族は、もう何十年も前にこの家から出て行った。だから家財道具も何もありはしない筈だった。仮にそれらを置いて行ったとしても、朝、置き抜けたままの布団や食事を終えた状態のままの台所。そして風呂場を開けてみると、湯船には赤黒く濁った水が溜まっていた。長い時間の中で錆び付いたのだろう。しかしこれも使ったままの状態だ。水分が抜けて石膏のように固くなった石鹸は、わたしたちが使っていたものに違いない。
 この光景は、ある日突然、家人が全員消え去った後のようであった。まるで神隠しにあった家族が住んでいた家。そう言われても仕方がない。
「誰も怨んじゃいかんぞ。今更、怨みを思い出しても何にもならん」
呆然と部屋を見詰めたまま声を発することが出来ないわたしに婆さんがそう声を掛けた。婆さんは、昨夜も同じことを言った気がする。しかし、わたしには分からなかった。いったい誰を怨めというのだ?そしてなんのために?わたしは婆さんにそう訊ねたかった。しかしわたしの質問を遮るように婆さんは言った。
「由紀を、早く見舞ってやれ。てっきりようやっと迎えに来たんかと思ったんだが、まあ、そんな余裕はないか」
昨夜も婆さんは「由紀を見舞いに行け」と言った。それには特別な意味があるように思えた。まるで婆さんはそれに固執しているかのように感じたのだ。だかなぜ、婆さんがわたしが妹を見舞うことに固執するのか?わたしにはまったく分からなかった。
 正直、分からないことだらけだ。一昨日、長野に着いて以来、病院に父を見舞っても受付の女は父の名は入院患者リストに無いという。そして30数年ぶりに会った老婆も、意味不明なことばかり口走る。
 それらすべてをまとめて質問したいところだったが、わたしは何も訊ねなかった。代わりに
「どこへ行けばいいんだろう?」
と訊ねた。老婆は少し驚いた顔をしてから、やがて微笑んだ。
長野市のな栗木病院というところだ」
その名を聞いてわたしは戸惑った。昨日、父を見舞いに行った病院と同じだったのだ。
「さてさて地図を描いてやろうかの」
という婆さんの言葉をわたしは遮った。
「大丈夫。その病院なら分かるから」
婆さんは「そっかそっか」と言って喜んだ。そうさなあ、由紀のことだからきっとあんたに連絡を取ってると思ったんだよ、それであんたも地図を見て調べてたんだな、などと独り言を呟いた。わたしはそこに父も入院してるのだと言うべきか迷った。だが言わなかった。またこの老婆がわたしを悩ませるようなことを言い出す気がしたのだ。
「じゃあ、さっそく行ってみるよ」
婆さんが小さく何度も頷いていた。


 小布施駅から善光寺下へ向かう電車の中でわたしは老婆の奇妙な話を思い出していた。30分もある車中、婆さんの話を自分の記憶と何度も擦り合わせてみた。しかしいずれも噛み合わない話ばかりだった。幾ら考えてみても辻褄が合わなかったので、きっと婆さんも歳だから記憶が曖昧になっているに違いない、そう考えるようにした。
 だが、そう考えても辻褄が合わないのだ。あの部屋は何だったのだ?まるで昨日まで誰かが暮らしていたかのような様。だが、どう考えても、その”昨日まで暮らしていた”家族はわたしたちなのだ。「昨日」は30数年前の日々だ。そしてその昨日、忽然とわたしたち家族はあの部屋から姿を消したかのように、生生しい痕跡を残していた。
 どう思い出してみてもわたしには、辻褄が合う記憶が見付からなかった。由紀と義母が出て行くのを見送り、わたしは再び父と二人であの家で暮らしたのだ。
 わたしは婆さんから預かったあの家の鍵をポケットから取り出した。手の平に載せ見詰めてみたが、鍵は何も語ってはくれなかった。それもその筈だ。わたしがあの家に住んでいた頃、鍵など使ったことは無いのだから。鍵と言えば、あの壊れた鍵はどうなったのだろう?ふとそう思った。あの鍵が壊れてくれていたお陰でわたしたちはあの日、豪雨に濡れずに済んだのだ。思えば子供時代の楽しい思い出というものだ。病院で由紀と会ったらそんな思い出話をしてみよう、そう思った。

プルルルッ
携帯の受信音だった。画面を見ると妻だ。わたしは周囲を見回した。出勤時間を過ぎた田舎の鉄道は、回送列車のように空いていた。そう思えるのは、たまに見かける乗客が皆、死んだように目を瞑っているためかもしれない。彼ら、彼女らは粗末な車両の、まるで室内装飾の一部ででもあるかのように、身動き一つしなかった。
「もしもし」
それでも他の乗客に気付かれぬよう小声で出た。
「パパ?」
有希だった。
「パパでしょ?声小さいよ」
「ああ今、電車の中なんだ」
「じゃ、掛け直すね」
「いや、いい。大丈夫。田舎の電車だからあまり人が乗ってないんだ」
「電話してて叱られない?」
「うん。みんな寝てるから誰も気付かない」
そう言ってわたしは窓の外を見た。
「周りの景色も、家があまり見えないな。木とか畑ばっかりだ」
「海とかは?」
「ああ、ここは山国だから海は無いな。ああ、でも大きな川があるよ。千曲川って言ってなんでも日本で一番長いらしい。さっき鉄橋で渡ったな」
有希は電話の向こうで小さく笑った。
「なんだか面白そう」
「そうかい?退屈かもよ」
「ううん、でもパパの故郷だもの。いつか行ってみたい」
「ん?あ、そうだな。一度、お祖父ちゃんにもあっておいた方がいいかもしれない。そう長くないだろうから」
電話の向こうで有希が沈黙するのが分かった。
「どうした?」
「有希にお祖父ちゃんいたの?」
「ああ、いたよ」
「なんだ、もっと早く教えてくれれば良かったのに。ぜんぜん知らなかったよ」
「あ?そうだったかな。なんとなく言い忘れてたかな」
電車は住宅街に入った。ここまで来れば善光寺下はもうすぐそこだ。
「ところで何か用かい?」
「ん?うん」
「なんだ?はっきり言ってごらん」
「うーん。はっきり分からないの」
「何が?」
「ママが電話を受けてて、それを横で聞いてただけだから」
「へえ、どんな話?」
「ママが昨日、メールを送ってたわ」
「誰に?」
「パパによ」
?わたしは携帯の画面を見た。右上にメールが着信している表示を見付けた。
「ああ、ほんとだ。全然、気付かなかった。昨日からパパ、いろいろあってね。ちょっと携帯を見てる余裕が無かったんだ」
「良かった、電話して。ママも今朝『連絡したのに全然返事がない』って心配してたのよ」
「それは悪かった。今すぐ見るよ」
「そうして。じゃあね」
「ああ、また」
そうして切ろうとした時、電話の向こうで有希が何か話す声が聞こえた。慌ててスピーカの辺りに耳を付けたが、ガチャリと通話を切断する音が響いただけだった。わたしは、有希がわたしにどんな言葉を掛けてくれたのか、知りたかったが掛け直しはしなかった。未練がましいという気持ちと、しかし父親とは娘に対して未練がましいものだ、という思いが行き来した。だが最終的に、わたしが未練を遺すことは有希にとって良いことではない。そう思ったのだ。
 通話を終えたわたしは液晶画面を見た。新しい受信メールが一件あることが表示されていた。由紀が今、教えてくれた妻からのメールに違いない。クリックすると送信者はやはり妻だった。内容は、妻も連絡を受けた時、困惑したのだろう。淡々とした文面で事実だけが綴られていた。何の装飾も無い事実だけの文は、ことさらに生生しい感触をもたらした。
 メールに記された文を読む限り、柴崎専務が死んだらしい。「らしい」というのは、それだけ認め難いということだ。わたしはそうして自分の心の内を読むことで冷静になろうと努力してみた。波打ちそうな心をなんとか静めてみたのだ。だが、改めて妻の文を読み返したとき、抗いようがないほどに皮膚が震えた。心より先に身体が反応を始めたのだ。
 空席が目立つ車両だったが、一番近い席に座る女が何やらわたしを気にし始めた。中年の女だ。全体的に淡い色の服を着て、目も鼻も小さい。古びた車両の内壁に溶け込みそうなほど、存在感の薄い女。その女が、何度か顔を上げてはわたしに視線を送ってきた。どうやらわたしは傍から見ても異様に見えるような有様らしい。たしかに身体の震えは止まらないし、汗も掻いているようだった。わたしは女がわたしをどう見ているのか気になった。女がどんな顔をわたしを見ているのか知りたかったが、しかし目が合うのが怖くてついに女の方を見る勇気が湧かなかった。
 もう一度、携帯を見た。そこには明確に
「柴崎専務がお亡くなりになったそうです」
と書かれていた。続いて
「本社の入るビルの屋上から飛び降り自殺だそうです」
と理由が書かれていた。
「告別式は追って連絡が入るそうです」
これだけだった。たった三行。しかし、わたしを動揺させるには十分だった。むしろ簡潔なだけに、まるでわたしの身体に起きた出来事のように感じられた。

 自殺など、新聞や雑誌の中では今や日常茶飯事だ。だが、自分の身の回りで起きたそれは、フィクションとノンフィクションの狭間にあるマスコミから発信されたものとはまったく異なっていた。わたしは、あっという間に時空を飛び越えた気がした。宙に浮かんだわたしが見詰める先には、空っぽのビルの屋上が拡がっていた。やがて鉄扉が開くと中年、というより既に老人のように精気を失った男が現れた。柴崎専務だ。元・専務は特に周りを見回す風も無く、躊躇無い様子でまっすぐ屋上の端まで歩いた。突き当たりで手摺りに捕まると、そこに足を掛けた。
 わたしが特に気になったのは、柴崎専務が飛び降りた理由では無かった。あのビルは、周囲が込み過ぎていた。雑居ビル群の中に立つそれは隣りのビルとの隙間が、それこそ猫が落ちるのも精一杯ではなかったか?柴崎さんはちゃんと飛び降りることが出来ただろうか?落下途中で隣りのビルから突き出た突起が、柴崎さんの顔や身体を傷付けたりはしなかったか?厚い胸板がコンクリの壁と壁の間に挟まり、逆さ吊りになるなどして無用な苦痛を感じたりはしなかったか?そんなことばかりが不安として湧き上がって来たのだ。
 ところで何故、飛び降りた理由を知りたくないのだろう?と自分に自問した。どうやらわたしは知りたくないというより興味が無いらしい。
 そう思うと笑いが込み上げてきた。ほんの数日前まであれほど社の将来を懸念し、自らの立場を危うくしてまで悪戦苦闘していたのに。わたしが現金なのか、人間とはそういうものなのか。思えば悪戦苦闘の結果といえば
「会社の将来のために辞めて欲しい」
という芹田貴明社長からの通告だった。思い出しながらわたしは苦笑した。なんとも不条理な話じゃないか。会社のためを思って悪戦苦闘した結果が、厄介者扱いとは。
「会社の将来のため、か」
わたしは小さく口に出してみた。あの時の貴明の口真似をしてだ。貴明は唇を尖らせていた。まるで業績低迷の元凶が、わたしであるかのごとき物言いだった。言われた時は腹も立った。その場でぶん殴ってやろうかとも思ったものだ。
 そんな日々が懐かしい。まだほんの数日なのに、既に遠い過去の出来事だった。昨日の関口の電話のように、何かきっかけでも無いと思い出さなくなっていた。
 所詮サラリーマンなんてそんなものかもしれない。また、そんなものでなければいけないのだ。これから先も生きていくためには、過去のことを引きずってはいけないのだから。どんなに引きずっても会社に戻ることは出来ないのだから。

 だが柴崎さんはわたしとは違う。あの人は貴明との衝突から已む無く退社した後も、何かと会社のことを気に掛けていた。今はもう故人に対して言い難いことだが、未練もあったと思う。その未練の為に飛び降りたのだとしたら悲しいことだ。
善光寺下ー、善光寺下ー、お降りの方はお手元のお荷物などお忘れになりませんよう、お気を付け下さい。次は善光寺下ー」
場内アナウンスが響いてわたしの思考を中断させた。
 それから一分と掛からず電車はホームに止まった。携帯に表示された時刻を見ると、もうじき十時だ。この時間のせいか、降りるのはわたし一人だった。


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