偽りの夢を見た。葬儀の為に東京へ戻って以来、ずっとこんな夢を見る。事実とまるで反対の、嫌な夢だ。
 小学校時代の夢ばかりを見るのは、ボクが小学校時代の6年間が一番幸せだったからだろう。実母に捨てられた幼年期を経て、小学校に上がると、ボクの前に新しい母が現れた。新しい母はボクから実母の記憶を消し去ってくれた。それほど魅力的な母に、ボクは夢中になったのだ。ボクは毎日、幸福な気分で家に帰った。家にあの人がいると思うだけで幸せだったのだ。
 ところが夢に出てくる母は、まるで違う。事実とは正反対だ。偽りの母は、ボクを苦しめ、辛い思いにさせるようだ。つい今しがた見た夢の中で、精通を迎えたボクは母にひどく辱められていた。由紀に手を差し伸べて貰えなければ、ボクは不幸な少年そのものだったに違いない。少年にとって、性の問題で親から辱めを受けることくらい辛いことは無いからだ。
 幸いなことに、偽りの夢の中の出来事は、目覚める同時にボクの目の前から消え失せた。事実は、ボクを辱めたのは妹だった。由紀は、生意気な妹で、ボクと母の間を邪魔ばかりしていたんだ。ボクはいつも勝気な由紀の我侭に振り回され、友達とゲームをする時間を奪われていた。
 でも、一方で由紀は聡明で、活発で、いつも前向きで、弱気なボクを励ましてくれた。まるで二人の由紀がいるようでもあるし、どちらもあの頃の由紀だった気もする。もう30年も前のことだから、はっきりと思い出せないんだ。
 ボクは病院で見た由紀のことを思い出した。由紀は、あの真っ黒に日焼けして男の子のように見えた由紀が、美しい女性に成長していた。しかし不思議なことに、由紀は一番美しい姿に成長したまま、だった。医師は「そこから加齢が止まっている」と言っていた。

 新幹線には珍しく「ガタンッ!」という大きな音を立てて止まった。窓の外を見たが何も無かった。駅名を知りたくて、あちこち見回してみたが窓の開かぬ新幹線の車窓から覗ける範囲は限られていた。仕方なく背凭れに身体を預けた。同時に新幹線は動き出した。眩しい夕陽がホームの様子を照らし出していた。やがて駅名を表示した看板の前を通り過ぎた。「安中榛名駅」と書かれていた。
 葬儀が一通り終わったのが午後3時だった。そこから東京駅に出て、新幹線に乗ったからちょうど日が暮れようとしている時間なのだ。わたしは首を左右に捻った。次第に、意識がはっきりしてきた。どこまでが夢で、どこから目覚めていたのか良く分からなかった。ずっと夢を見ていたような気もするし、起きていたような気もする。この三日というもの、ずっと夢に振り回されているような気もした。
 しかし、考えてみるとまだ三日だった。会社を辞め、離婚してからようやく三日目が終わろうとしているだけなのだ。なのにもう何年も前からこんな状態だったような気がする。逆に、ほんの数日前まで毎日、繰り返していたサラリーマンの頃の生活が思い出せなかった。
 夕刻の車両はほぼ満席だった。東京駅で2シートの窓際の席を確保した時は、隣りは空席だったが、眠りから醒めてみると見知らぬ男が座っていた。中年のサラリーマン風の男は新聞を開いていた。駅の売店で買ったスポーツ新聞らしく、下世話な話題ばかりが並んでいた。しかし男が開いた1ページに、わたしは目を奪われた。それは中小企業の経営者を直撃インタビューする、というコーナーだった。内容を読むまでもなく、提灯記事の臭いがぷんぷんしていて、恐らくはパブリシティ広告のようなもので、記事に載せる代償に掲載料を支払う、といった類に違いない。わたしが関心を持ったのは、今回インタビューされているのが貴明だったからだ。「第34回」と書いてあるところを見ると、掲載するのは34人目の経営者ということらしい。
 目立ちたがり屋の貴明らしい、と思った。でなければ法令印刷を主たる業務とする会社の社長が、このような下世話なメディアに登場する必要がないのだ。相変わらず呆れたものだ、と思いながらも、既に無関係となったという思いから目を背けた。
「あんた、この会社と何か関係あるの?」
男が突然、訊ねてきた。
「いやさ、さっきから俺が読んでる新聞をね、あんまり熱心に覗き込んでくるからさあ。気になちゃってさ」
「それは失礼しました」
「ああ、それでもしかしたら知ってる会社なのかな?って思った訳よ」
男の親切心に頭が下がる思いがした。それでつい、正直に事の成り行きを話してしまった。
「そっかあ。なるほどな。会社の為に頑張ったのにな。それが認められねえ。不条理な話だよ。同じサラリーマンとしちゃあ身に積まされるなあ」
そう言うと男は新聞を差し出してきた。
「読みな。俺は次の軽井沢で降りるから、進呈するよ」
わたしは男の親切に例を言い、新聞を受け取った。男と二、三雑談をするうち、軽井沢駅に到着する旨のアナウンスが響いた。男は立ち上がり、荷物を下ろしながら微笑みかけてきた。
「じゃあな。まあ、お互い元気でやろうや」
中年男の精一杯の爽やかな笑顔だった。ショルダーバックを担ぐと、男は出口に振り向いた。そこで何か思い付いた様にもう一度わたしを見ると顔を寄せてきた。
「こういうひどい不景気の時期ってなあ、やっぱり弱いものから切られてくんだよ。でも、それは自然の摂理だからしょうがねえんだ」
わたしは『リストラされたのでは無く、自分から辞めたのだ』と言い掛けたところで男が人差し指でそれを静止した。新幹線の速度がゆっくりを落ちていくのが分かった。もうすぐにも停車するのだろう。男は、もう何も言わず身を翻し出口に向った。わたしはその背中を凝視したが、わたしの期待に反して男は二度とこちらを振り返らなかった。その背が暗にわたしの主張を否定しているように思えて、わたしは奥歯を噛んだ。
 軽井沢駅を発った頃、夕陽は闇の中に埋没しようとしていた。佐久駅に着くまでには夜が訪れるに違いない。わたしは男から譲り受けた新聞を開いた。すぐさま貴明のインタビューが載るページを見付けた。スポーツ紙特有の提灯記事は、歯の浮くような煽(おだ)て文句で始まっていた。予想されたことだが、ここまで露骨だと不快に感じる。写真の貴明は満面の笑みを湛えるが、実際、ここまでお世辞で凝り固まった記事をどんな気持で読んだのだろう?しかし、どれほどあからさまに煽てられても、どこまでも好意的に受け入れてしまう才能が貴明にはあった。二代目特有の世間知らず、と取ってしまえばそれまでだが、今のわたしには羨ましい限りだ。
 意味の無い文面を読み進むと、写真に対して文の少なさに呆れ帰った。写真と見出しばかりで中身が何も無いのだ。もっとも娯楽紙だからもっともな事かも知れない。しかし、一番目立たぬ場所にあった文の一群にわたしの目が吸い寄せられた。
「法令印刷市場の曲がり角」
とあった。会社の不調の理由を説明しているのだ。出版業、印刷業の構造的な不況とともにデジタル化の進展に伴って法令印刷という業が消えつつある、と書かれている。貴明にしてはまともなことを答えているじゃないか、と感心した。しかしすぐさまそれらが柴崎さんやわたしの受け売りだと気付いた。
「不況の中でどう生き残るか?そのためには血を流すことも必要です。昨年から今年に掛け、ベテランを含め数名の社員に辞めてもらいました。この雇用不安の時期に非常だと思われるかもしれないが、致し方ない。こういう時期に会社を守るということは、そういうことなのです」
もっともな話だ。だが、リストラされるべきは柴崎さんとわたしでは無かった筈だった。どこでどう間違ったのか、守るべき役割の者が会社を去ったのだ。そして、わたしたちは自ら去ったのだ。貴明が紙上で言うように「辞めさせられた」訳ではない。
「退社してもらった社員たちは気の毒だと思います。この不況の中、再就職は非常に厳しいでしょう。いずれもベテランですから年齢的にもハンデがある。でも致し方ない。会社とはそういうものだからです。常に古い皮を脱ぎ捨て新陳代謝していかなければ生き続けられない。そのためには犠牲も必要だということです」
犠牲か、とわたしは溜息を吐いた。『弱いものから切られてくんだよ』先ほどの男の声が蘇った。男はこの記事を読んだのかもしれない。記事を読んだ者なら誰もが、わたしに哀れみを感じるだろう。こんな娯楽紙でも、こうして公表されてしまえば、わたしは憐れなリストラ社員だ。
 しかし、とわたしは思った。昨日、会社を訪問した時の記憶が蘇ってきた。佐藤も、留美子も、木下も、山本も、みんなわたしを親の仇でも見るような目付きをしていた。わたしは背凭れに身体を預けたまま絶句した。自ら辞めた気になっていたが、本当のところ会社から捨てられたらしい。貴明から捨てられたのではなく、会社から捨てられたのだ。なんとなく、実感としてそう思えてきた。
 急に社会的な地位と収入を失ったことに気付いた気がした。不思議なもので、有希の顔を思い出した。少し前まで、休日には妻と三人で色々なところへ出掛けた。有希は無口な娘だったが、いつも笑みを浮かべていた。
「パパ、何がいい?」
有希の声が聞こえた気がしてわたしは振り返って辺りを探した。しかし、その声は現実のものでは無かったらしい。外で昼食を取る時、いつも有希はそうして訊いて来た。子供のくせに、自分の好みよりわたしの好みを優先させた。わたしはいつも有希に気を遣わせていたように思った。有希は子供心にわたしの危うさを予見していたのかもしれない。そうして子どもらしくない気を遣い続けてきた。思い出してみると、有希が子どもらしい我侭を言ったのをついぞ聞いたことが無かった。
 しかし、もはや有希がわがままを言ってくれる機会も無いだろう。聡明な有希は、わたしがわがままを受け入れられる器で無いことを承知しているに違いない。まだ小学生の子どもにそういう気を遣わせてしまう情けなさに胸が痛くなった。今や妻の愛人が経済的に豊だということが救いといえる。
 人間が堕ちるなど不思議なくらい簡単なことなのだ。そう思いながら車窓を見た。既にどこもかしこも暗がりに支配され、風景など見えない。代わりに、暗がりを背景にしたガラスに自分の顔が写っていた。少し老けたようにも見えた。皺が増えたのかもしれない。この三日間、日常とは異なることに振り回され疲れが出たのかも知れない。だが、もう日常に戻ることは無いのだろう。わたしは、職場も家族も失ってしまったのだ。良く考えれば、これから先どのように生きていけば良いのか、何を目的に生きていくのか皆目検討も付かなかった。その意味では父の方が幸せだったかもしれない。父は、あれほど自分勝手で、駄目な人生だったが、家族はいたのだ。
 そう思った時、目の前のガラスに写った顔が父のものであることに気付いた。子供心に情けなかった父と、いつしか瓜二つになっていたのだ。父のようにだけはなりたくないと思って来たのに、気付くとそっくりになってしまった。まるでわたしの人生の破綻が、最初から予定されていたように思え、胸が苦しくなった。
 少し気を紛らわせようと、新聞を捲った。面白おかしく描かれたスポーツ記事、経済紙の株式欄のように整然と一覧にされた競馬や競輪など公営ギャンブルの予想、性風俗の話題、いつもと変わらぬそれらは人間の低俗な欲求を満たす目的で、敢えて品の無い編集となっていた。
 最終面にいく途中、社会面があった。スポーツ紙の社会面だから社会、政治、経済がごちゃ混ぜに掲載されている。要するにスポーツ新聞らしい記事以外を載せていると考えた方がいい。差し障りの無い記事が、これまた面白おかしく描かれていた。最終の3ページほどを割いた芸能面も見る気にならず読むべき内容が見当たらなかったわたしは紙面を閉じようとした。次の瞬間、慌てて紙面を開き直した。社会面の下部にある囲み記事が目に入ったのだ。そこには「長野県○○○郡」と書かれていた。顔を近づけて確認してみると○○○の部分は「上高井郡」だった。わたしの故郷だった。
 記事は、犯罪史の連載物で過去に発生した特異な犯罪を検証する、というものだ。この紙面では昭和52年に長野県上高井郡で発生した未解決の殺人事件を取り上げていた。
円高不況が深刻化し、企業倒産が相次ぐ昭和52年。日本赤軍による日航機ハイジャックという戦後日本の象徴的な事件が発生する反面、東京・高輪において青酸コーラ殺人という病める現代日本を示唆するような事件が起こった。』
 昭和52年というと、わたしがたしか小学校6年生の頃だ。つい最近のことのように思えたが、この記事の出だしを読むと、随分古い時代に思える。記事には同時代の主な出来事が表になっていた。

『1977年の主な出来事:
日本赤軍による日航ハイジャック事件,ボンベイ−バンコック間で乗っ取られ,ダッカ空港に強制着陸
○北海道有珠山爆発,32年ぶり7回目
○東京・高輪で青酸コーラ殺人事件
円高不況が深刻化し,倒産相次ぐ
○愛知医大不正入学事件
○日本も 200カイリ宣言
参議院選挙で、 自民党過半数を占める
東京地裁で、ロッキード事件初公判開かれる』

 あまりピンと来なかったが、その下に書かれた記述で心の中で手を打った。

『○王貞治巨人軍選手、対ヤクルト戦でホームラン世界記録 756号を達成し、国民栄誉賞を受ける』

 あの時、誰だったか、クラスの誰か、そう袈裟男だ。袈裟男が記念ボールだと言って学校にサイン入りボールを持ってきたんだ。今にして思えば本物だったかどうか怪しいものだが、当時は触れるだけで感動したものだ。そんなことを思い出しながら事件の内容を走り読みしてみた。

『長野県上高井郡の山林内に設置された作業小屋において中年男性の死体が発見された。死体の腹部に包丁が刺さっていた為、警察は殺人事件と断定、捜査を進めた・・・・容疑者として男性の妻と弟が上がったが・・・・警察はなぜか男性の妻、弟ともに逮捕を見送った。当時の会見の記録によれば、執拗な記者の質問に対し捜査本部長は口を閉ざすのみだったという・・・・』

 子供というのはつくづく幸福に出来ているらしい。こんな殺人事件がすぐ身近で起きていたのに、当時のわたしはまるで気付かなかった。どうやら犯人は捕まっていないらしいから、そうなるとかなり長い間、地元では話題になっていたことだろう。にも関わらずわたしはまったく知らなかったのだ。何十年も経った今になって初めて知るというのも妙な気持だった。
 既に時効が成立している事件だろうから、今更、犯人探しもあるまいが、マスコミというものはつくづく粗探しが好きだ。なんの具体的な関与も無いという無責任な立場も手伝って、記事には小説さながらの文章が展開されているようだ。どうせ時間を持て余しているのだから、と思い、今度は一文字ずつ読み始めた。

『山林内は滅多に人が来ない小山の上にあった』
『被害者の男性は、妻から生活費をせがまれ困っていた』
『二人の子どもが悲惨な殺人現場にいた』

典型的な悲惨な家庭が、そこに描かれていた。記事によれば被害者の男性は、それより5年ほど前に勤務していた会社から解雇されたという。現在でいうリストラに遇ったらしい。記事には昭和46年のニクソン・ショックに端を発した円高不況という時代背景が描かれていた。この時、解雇され、長期にわたった不況のために再就職できなかったらしい。そして不況は事件のあった昭和52年にもまで続いていた。
 ふと、自分もこれから長きにわたって再就職など出来ないのだろうか?という不安が湧いてきた。40代も半ばの年齢で、法令出版社の企画部門にいた人間など必要としてくれる会社があるのだろうか?木田は、声を掛けてみる、と言ってくれたが既に一通り声を掛けてくれたのだ。その結果、どこも難しい状況だったというから、あまり期待してはいけないだろう。そうなると長い忍耐の時間が必要なのかもしれない。あるいはこのまま老いさらばえるまで、ずっと無職のままかもしれない。
 そんな暗い気分を忘れ去る為に、記事を読み進めた。しかし『妻が弟と密通していた、との噂もあった』など、ますます気が滅入るような内容だった。だが、その先まで読んだ時、一つの単語に心を囚われた。
『鍵』
という単語だ。

『小屋には鍵が掛かっていた。だがこの日、何者かによって鍵は開けられていた。被害者自身が開けたという情報もあるが、真実は定かではない・・・』

 鍵、という単語に、なぜ心が囚われたのかは分からない。ただ、なぜかわたしはその文字から目を離せなくなっていた。
 突然、息苦しさが襲ってきた。窓の外を見たが、暗黒に支配されたそこには、現在地を示すものは何も無かった。たしか新聞を持っていた男が降りたのが佐久駅だから、もう上田駅に着く頃かもしれない。息苦しさがどんどん悪化し、わたしは呼吸することさえ苦痛を伴うようになってきた。額から汗が噴出してきたのが分かった。取り合えず背凭れに身体を預け、新聞を閉じた。閉じた新聞を畳もうとして、初めて気付いた。新聞の一面は大相撲の話題だったが、なんと朝昇竜が名古屋場所で優勝した、という記事だ。既に引退に追い込まれた力士だ。新聞の日付を凝視すると、新聞は一昨年のものだった。
 わたしは辺りを見回した。しかし佐久駅で降りた筈の男が、この車両にいる筈が無かった。彼がなぜこんな古い新聞を持っていて、わたしに手渡したのか?一見、偶然に思えたその行為が、何らかの意図があったように思えてきたのだ。
 やがて心臓の動悸が、冷静さを奪うのが分かった。それでもわたしは目を閉じて苦痛に抗った。息苦しさを堪えていると、再び頭痛が襲ってきた。激しい痛みを堪えていると、ある瞬間、不思議なくらい簡単に痛みが遠のいた。代わりに意識が遠のいて行くのを感じた。遠のく意識の中で、わたしは海を見た。それはわたしの脳内の海だ。わたしの視線が海面に近付くと、一気に海中に潜った。凄い速度で海中をまっ逆さまに進んだ。やがて海中の奥底に砂地が見えた。砂地の中には木箱が埋まっていた。それは鍵が掛かっていた。箱は見る間に砂地から浮き上がった。それは枷となっていた砂地から解放されたようにも見えた。すっかり海中に浮き上がった木箱は、海面に向って浮上していった。やがて木箱は海面に顔を出すと、堅く閉ざされた鍵が自然に開いた。同時に蓋も勝手に開いた。
 幾つかの記憶の断片が、葉書大の写真として入っていた。そこにはきちんとスーツを着た父と幼いわたしがいた。場所はキッチンだ。見たことの無いキッチンだったが、間違いなく、わたしはその家を知っている。見たことが無いのではなく忘れてしまっているのだ。だからもう少し時間があれば、きっとわたしはその家のことを思い出すに違いない。そして台所には、顔の無い母がいた。それは美和ではなく、わたしの実母だ。
 それらのポートレートは、父がまだサラリーマンをしていた頃の日常だと、わたしは思い出した。そんな日常が存在していたことをわたしはすっかり忘れていたのだ。わたしの記憶の始まりといえば、美和が由紀を連れて来た時だ。しかしそれは小学校に上がる時の話で、人生はそれ以前に六年間もあったのだ。普通に考えて、物心付いてから3〜4年は経っている筈だった。なぜその頃の記憶を忘れていたのだろう?
 父と母とわたしの三人の家族は幸せだった。サラリーマンだった父は裕福では無かったが貧しくも無かった。いわゆる中流の家庭だ。一戸建ての家に住み、毎週土日、父の勤める会社は休日だった。平日、パートに出ている母と三人で、よくデパートに買い物に出かけた。ゴールデンウイークには、父の実家の田植えを手伝い、梅雨明けの週には鯨波海岸に海水浴に行った。


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