通夜を終え、柴崎さんの家を出た。
『どうせ明日、告別式やお斎(とき)の席に出て頂くのだから』
と、奥さんが家に泊まるように勧めてくれた。しかし遠慮した。一人になりたかったからだ。
 川崎駅近くの安普請なビジネスホテルは、平日の中日だというのに、ひどく空いていた。見るからに安っぽい作りから敬遠されるのかもしれない。もっともそのお陰で10時を回った時間だというのに、宿にあり付けたのだから感謝しなければいけない。
 部屋に入り取り合えずシャワーを浴びた。狭い浴槽は湯に浸かるには向かないがシャワーを浴びるだけならさほど気にならない。ただ濡れた身体を拭くのに、トイレと一緒の狭い部屋は窮屈だった。それでもなんとか身体を拭き終わり、タオルを腰に巻いたままベッドに腰を降ろした。リモコンでテレビのスイッチを入れながらコンビニの袋を探った。通夜からここまでの道程の途中、購入したのだ。缶ビールと干物を取り出すと一人で乾杯した。
 テレビは今日行われたスポーツの様子を流していていた。サラリーマン時代の出張を思い出す。会社の経費で宿泊できたから、ホテルはもう少しマシだった。が、就寝前の孤独は変わらない。ふと、有希に電話してみようかと思い、やめた。もう11時近い。妻が嫌な顔をするだろう。もっとも電話なら顔は見えないが。
 ふと携帯電話を見ると、小さく点滅していた。電話かメールの着信があったらしい。携帯を取り上げ、画面を見るとメールだった。誰だろう?単純にそう思った。今のわたしにメールを送ってくれる人間は、限られている。ほんの数日前まで、日に何十通と支持を仰ぐメールや、下請からの提案メールに追われていた。しかし3日前に会社を辞めてから、わたしが受けたメールは一通。妻が柴崎さんの死を知らせてくれたものだ。感情の無い箇条書きだった。それが現在のわたしだ。
 思えばこの三日間、携帯電話でわたしが受信したのは妻のメールと、関口からの電話だけだった。「だけ」とは失礼な話かもしれない。こんなわたしにコンタクト取ってくれたのだから二人に感謝すべきだ。わたしは自嘲気味に唇の端を上げてみた。だが残念ながら笑みにはつながらなかった。正面の壁にはちょうど鏡があって、そこに映ったわたしの顔はただ歪んでいるだけに見えた。
 メールを開いてみると、思いがけず
「ご連絡」
という意味不明な題名のメールだった。皆目検討も付かなかったから、間違いメールではないかと思った。しかしクリックしてみてその正体が分かった。送り主は木田だった。元は会社の同期だが、若いうちに辞め、今は人材派遣会社の営業部門にいる。しかし、その後も付き合いが続いていた。時々、電話で話したり、メールしたりといった付き合いだ。年に数回だが飲むこともあった。特に親しかった訳ではないが、親密でなかっただけに長い付き合いになったらしい。また、細かいことに拘らない彼の性格が付き合いやすかったのだ。
 会社を辞めようと決めた時、木田にメールを送ったのだ。次の仕事を紹介してもらいたい、という気持を書いた。相手はプロだから個人的に紹介しろというのも失礼な話だが、失礼を承知で送った。木田はいつものように気さくな返事をくれた。
『付き合いのある会社に相談してみると』
と。しかし、頼んだわたしの方が忘れていたのだから、本当に失礼な話だ。
 木田のメールはこうだった。
『このご時世でどの会社も新規採用を縮小している。経験者でないと難しいかもしれない。これまでの取り引き先でどこかないのか?』
予想された返答だった。むしろ誤魔化さずにメールを送ってきたところに彼の誠実さが現れている、と思った。
 わたしは時計を見た。まだ11時前だった。それを確認し、少し迷ってから通話ボタンを押した。5回ほど呼び出し音が鳴った後、木田が出た。
「遅くに悪いな」
とわたしは挨拶代わりに言った。
「今、柴崎さんの通夜から帰ったところなんだ」
我ながら少し、説明がましい気がした。
「メールを見た。心配してくれてありがとう」
「いや、まだ宵の口だ。ぜんぜんOKだよ」
「奥さんや息子さんに迷惑じゃなかったか?」
「大丈夫さ。息子はもう高校生だし、自分の部屋に篭りっきりだ。妻は風呂に入ってる。それに家に帰ると携帯はマナーモードにしてあるんだ。だから電話が来たのは俺にしか分からない」
木田は「ははは」と笑った。わたしに気を遣ってくれているようだった。
「ところでどうだ?フリーターになった気分は」
「ああ、あまり良いものじゃないな。ふわふわして足元が覚束ない感じだ。これまで会社に守られてたことに気付いたよ」
「ははは、気付くのが早過ぎるだろ。それに、考え過ぎだよ。会社の信用とは別にお前の信用というものもある」
言われてわたしは昼間、会社で受けた扱いを思い出した。口に出そうかと思ったが、これ以上、木田に心配掛けていけない。
「再就職先だが、メールに書いたようにこれまでの取り引き先なんてどうなんだ?」
わたしは答えに窮した。今日、かつての部下達から受けた扱いは、すべてに通ずるものだろう。それをなんと木田に伝えればいいのか?しかし、木田はわたしの迷いを察したらしい。
「難しいか」
「ああ、難しい」
「よく聞くよな。難しいって」
「ああ、所詮、サラリーマンなんだろうな。会社を離れた途端に相手にされなくなる」
本当は、そうは思っていなかったのだ。部下達の態度にも憤りとともに驚きを感じた。だが、今となってはそれが現実と受け入れるしかない。部下達と同様、下請企業も対応は同じだろう。
「申し訳ないが・・・」
「ん?なんだ」
「継続して探してみてくれないかな」
「ん?ああ、分かった。ただ、条件は厳しいかもしれないぞ」
「分かってる。このご時世に何の目処も無く退社したんだ。同じ条件で転職しようなんて贅沢は考えない」
それからわたしは言おうか言うまいか少し迷ってから、しかし知らせておくことにした。
「実は退社と同時に離婚した」
「離婚?」
「正確に言うと妻が娘を連れて出て行くそうだ。もっとも家は売るそうだからオレが先に追い出されたんだが」
「驚いたな。しかし奥さんたちもこれからどうするんだ?」
「女は強いものさ。オレの知らぬ間に男がいたらしい」
電話の向こうで木田が絶句するのが分かった。
「オレも『どうやって生活していく気だ?』と問い詰めたら、白状したんだ。それもオレと違って甲斐性のある奴らしい。妻子持ちだが妻と娘を喰わせてくれるのだそうだ」
「にわかに信じられん話だが」
「しばらく前から様子が変だったんだ。ボーっとしていたり、掃除と称してオレの書棚を探ってみたり」
「長く夫婦をやっていれば、そういうことはよくあるだろう」
「だが結果的に、本人が認めたのだから仕方がない。それでオレは追い出され、立派な住所不定無職だ」
「おいおい、住居くらい早く決めてくれよ。就職するのに、それはまずいぞ」
わたしは「そうだな」とだけ答え、深夜に電話したことを詫び、改めて就職の世話を頼んだ。木田は「なんとか当ってみる」と答えてくれた。
 電話を切り、缶ビールを口に含むとベッドに寝た。天井を見詰めた。会社を辞めることになった経緯が次々に浮かんできた。しかしそうした細かい経緯が今はもう何の意味も持たないことを今のわたしは理解していた。
 不思議なくらい会社に対して執着心が湧かない一方で、部下達から拒絶にされたのはショックだった。貴明社長から退社を勧告された時は、ようやくこの軽蔑すべき男と決別できるのだという一種悦びに近いものもあったし、退社に追い込まれるまで自分の意見を通したなどと、どこか誇らしくさえ感じていたのだ。しかし今日、部下達から拒絶された時、初めて自分の居場所が無くなったことを実感した。あの会社にも、あの会社が関わる世界にも、もうわたしの居場所は無い。それどころか今の気分では、世界のどこにも居場所が無いように思えた。
 たしかに貴明の言うとおりかもしれない。サラリーマンなのだから、会社の代表者である社長の方針に反したところに筋など無いのだ。そんな子どもでも分かることを、わたしはなぜ忘れていたのだろう。長くサラリーマン生活を送っているうち、自分の力と会社の力を勘違いしてしまったのだ。居場所を失ったのは、単に自分の未熟さに過ぎない。
 もし、木田が再就職先を紹介してくれたなら、一からやり直そうと思う。そう考えているうち眠気が襲ってきた。だが、今日は夢を見そうな気がしなかった。わたしを惑わすおかしな夢。それは子どもの頃の記憶だが、東京に戻ってからというもの歪んで現れるようになった。事実と異なる内容なのだ。きっと周囲の人間のおかしな言動も影響しているのだろう。夢などその程度のあやふやなものだ。
 その時、わたしの頭に或る考えが浮かんだ。明日、柴崎さんの告別式が終わった後にもう一度、帰郷してみようと思ったのだ。木田からの紹介には時間が掛かりそうだから、数日は暇を持て余すことになる筈だ。その時間を利用して、帰郷する。そして母に会う。
 母とは勿論、美和のことだ。だから正確には義母、である。義母に逢えば、はっきりするだろう。何が?とわたしは自問した。まるで歪んだ夢や、周囲の人間の言動に惑わされているようではないか?人間の記憶なんてその後の人生で、大きく変わってしまうものだ。だからそれぞれが別の出来事として記憶しているのは致し方ないのかもしれない。それに、と思いわたしは苦笑した。角の婆さんにしても三田所長にしても既に歳が歳だから、呆けていても当然なのだ。
 そんなことより美和に遭いたい、と思った。わたしの少年時代を幸福な色に彩った母。彼女のことを思い出すだけで、今も穏やかな気持になれた。良く考えれば、三日前、なぜ父に会いに行こうと思ったのだろう?父は、わたしに辛い記憶しか残さなかったではないか。そんな父に20年勤めた会社を辞めることや、離婚することを報告して何になるというのだろう。ボクの辛い現実を癒してくれるのは、美和しかいないのだ。

 ボクは、柴崎さんの葬儀を終えると東京駅に向い、喪服を着替えもせず新幹線に飛び乗った。美和に遭えると思うと居ても立ってもいられなくなったのだ。
 しかし、新幹線が東京駅を発ってしばらく走った時、あることに気が付いた。ボクは美和の居場所を知らなかったのだ。


 途方に暮れる、とはこうしたことを言うのだろう、とボクは天を仰いでいた。空は次第に光を失い、青々とした輝きや純白の雲は、灰色のフィルタの向こうで色を失って行った。ボクは義母の姿を必死で探したけれど、彼女はボクらを置き去りしてどこかへ消え失せてしまった。彼女にしてみればあまり良い状況では無かった。恐らく、誰か知らない大人が見たら、真っ先に疑われるのは義母だったに違いない。
 ボクと由紀はただ二人で、累々と屍が積み重なる小屋の中に佇んでいた。累々と、というのは言葉が正確では無いけど、人の死体など目にしたことが無かったボクらには、二つの死体は十分過ぎる数だった。またそれらは大人だったから、その手からつま先の先までが、この狭い小屋をいっぱいに占拠していた。二つの身体が形作る波は、部屋の隅から隅へと累々と死の細胞を連ねているように見えたんだ。ついさっきまで、それらが二人の人間で、ボクらの目の前で動き回っていたのが嘘みたいだった。
 由紀、ボクらはこの先、この出来事をどんな風に憶えていればいいんだろうね?そうボクは心の中で由紀に問い掛けた。でも由紀はそれに答えず、ボクの目の前でずっと膝を付いていた。由紀は呼吸をしていないように動かなかったんだ。ボクは本当に由紀が死んでしまったのだろうか?と思った。だって由紀の努力が全部無駄になったんだから。ずっと長い間、由紀がしてきた努力、それはボクらが家族で居続ける為に行われてきたのに、由紀以外の誰もがそれに協力しなかったんだ。
 由紀の顔を覗き込んでみた。わずかに瞳が揺れるのを見て、ボクはホッとした。でもボクの不安はそれでは済まされなかった。ボクには由紀の心の中が分からなかったから。すべてを理解するにはボクは、ぜんぜん幼過ぎた。由紀に限らず、クラスのどの女の子も男子よりマセていた。だから男子のボクがすべてを理解できなくても仕方ないのかもしれない。ただ、ボクは由紀の気持を思う時、数週間前のある出来事を思い出した。それはボクにとっては思いがけないことで、でもクラスメートの中には既に経験している者もいたんだ。でも彼らにとって一種、喜ばしいこともボクにとっては辛い思い出だった。

 ある出来事とはこうだ。
 その日、ボクに或る事が訪れた。以前、身体の発育の早い裕二が誇らしげに見せてくれたのと同じだった。裕二は同じクラスのボクや真人を校舎の裏に集め、大人のそれと同じくらいの大きさになったそれを見せてくれた。ボクらは、理由も無く裕二に畏敬の念を抱いたんだ。その裕二と同じになっていた。それはまったく突然、いつもと同じように義母と由紀と一緒に狭い風呂場にいる時だった。
 風呂場は洗い場が半畳くらいしか無くって、幾らボクら二人が子供とはいえ、三人が身体を洗うには狭過ぎた。でもトタンで張った風呂はすぐに冷えてしまう。何ども薪を焚き直す手間を省く為に、いつもぎゅうぎゅう詰めで入るんだ。それもボクらの身体が大きくなるに従って、色んな面で無理を来たしていた。
「なんだいこれは?」
義母に睨み付けられ、ボクは竦み上がった。けれどボクの身体の一部は、まるで病気のように腫れ上がっていた。
「いつの間にこんなにマセたんだい?」
身体を洗う手を止めた義母にボクは許しを請うように、俯いた。俯きながら横目で由紀を見た。手際のいい由紀はいつものように一人先に湯船に浸かっていた。でも、こんな時、いつもボクを救ってくれる由紀が、今日に限っては目を伏せ、知らん顔をしていた。
「ああ、嫌だ。まったく何て子だろうね!血が繋がらないって言っても親兄妹だよ。それを見てこんなになるなんて、けだものと同じだね」
義母は、親が親なら子も子だね、と吐き捨てた。それから
「明日からは一人で入っておくれ!おお、恐ろしい」
と言いながらボクを肩で突き飛ばした。風呂場には戸が無かったから、ボクは風呂場の外まで転がってしまった。
「あたしたちが出るまで待ってな!」
再び風呂場に戻ろうとしたボクの目の前に、見えない楯が立ち塞がったように見えた。風呂場の外は土間になっていて、その外は風呂を沸かす為に薪をくべる場所だったから、辺りはいつも灰だらけだった。立ち上がって身体を見ると至る所が灰だらけになっていた。
 これ見よがしに身体を隠しながら母がボクの前を通り過ぎていった。その後を由紀が、いつもと同じように全裸で過ぎようとしていた。
「これで隠し!」
母が由紀にタオルを投げ付けた。由紀は俯いたままタオルを拾い上げ、何も言わずに戸の向こうに消えた。
 ボクは、誰も居なくなった風呂場で灰を洗い落とし、湯船に使った。一人で入るとウチの風呂も意外と広いもんだ、と感心した。だが一方で、これから家の中でどんな顔をして良いのか不安になった。ボクは身体の一部が変化したというだけのことで、家族の中で除け者にされてしまいそうな不安を感じた。母はボクが穢れた者のような物言いだった。裕二たちはあんなに誇らしげだったのに、ボクはなんだか自分が汚らしいものになったように気持だった。そしてそれ以上に、どんな顔をしていれば義母は満足してくれるのかが不安だった。ボクは湯船の中でいろいろと考えてみたが答えは出なかった。
 その原因となった身体の一部に触れてみた。しかしそれは義母の仕打ちに打ちひしがれたのか、縮み上がったのか、昨日までと同じ大きさだった。

 宿題を終えること、ボクはまたボクのそこがひどく腫れ上がっていることに気付いた。由紀は宿題が終わっても勉強を続けていた。上級生の誰かからもらった参考書を、繰り返し読み返してるらしい。上級生からもらった時は新品同様だったのに、今はもうぼろぼろになっていた。
 そんなだから由紀は、ボクの変化に気付いていなかった。
「今日はなんだか眠いなあ」
ボクはわざとらしく言うと襖を開けた。襖の向こうが寝る部屋で、風呂から上がるとすぐに布団を敷く、というのが我が家の習慣だった。だからもう布団は敷かれていた。ボクはそろそろと襖を閉めると布団の中に潜り込んだ。由紀はまるで気付いてないらしく、参考書に夢中だった。誰も居ない部屋で布団の中に潜り込んだボクは先ほどから抑えられなかった衝動を解放した。
 ボクはそこを強く握り締めた。身体の内から湧き上がる衝動が、そうせよ、と叫んでいたんだ。ボクは力の限り握り締め、でも握り締めるほどに身体に力が入らなくなった。ボクは必死で全身に力を込めた。その瞬間、何かが弾けて、ボクは、とりわけ腰から力が抜けていった。
「えらいことやらかすようになったねえ」
誰も居ない筈の部屋だったのに、突然、大きな声が響いたんだ。ボクは驚いて布団の中から顔を上げた。でもそれより一瞬早く蛍光灯が瞬いた。点灯する際の瞬きにボクは視力を奪われた。ようやく回復したボクの目の前に裸足があった。義母だった。義母はボクがしてることに気付いたらしい。
「あんた、そんなとこで何してんの!布団、汚れるでしょ!」
義母は力任せに掛け布団を剥いだ。そのためにボクの裸の下半身が露になった。
「ああ、ああ、こんなに汚して!」
「汚らしいねえ!」
「今夜は家の外で寝て欲しいよ。盛りの付いた雄犬と一緒じゃおちおち寝られない」
思いつき限りの辱めを口にした。
 ボクは義母に言われるままに掛け布団のシーツを剥ぎ、風呂場へ持って行った。盥に残り湯を汲むと、シーツの汚れた部分を浸した。なんどか擦ってみるがなかなか汚れは落ちない。石鹸を使い、ようやく汚れが落ち始めた。ボクは惨めな気持だった。裕二や、みんなも同じように惨めな気持になったのだろうか?
 石鹸で泡まみれになったシーツに湯船の残り湯を掛けた。裏返そうとしたが、濡れたシーツは重い。しかし、突然シーツの重みが半減した。するりと裏返ったのだ。由紀だった。由紀はボクの隣りに座り込んで、盥で残り湯を掛けながらシーツを揉み始めた。
「汚いよ」
と言いそうになってボクは言葉を飲み込んだ。ボクは少し前から薄々気付き始めていたんだ。気付き始めた、というより疑いを持ち始めていた。小学校から下校する時、少し前から由紀は、ボクを置いてけぼりにすることが多くなった。そして由紀はどこかへ消えてしまうのだ。もっともボクはそれを幸いに友達の家に遊びに行ってゲームをして遊んでいた。でも、二時間ほどすると友達が塾へ行く時間になる。そこでボクは家に帰ると、どこからか由紀が現れるんだ。そんな時に限って由紀は、まるで幽霊とでも会って来たみたいに真っ青な顔をしてたんだ。
 ある日、ボクは由紀の追跡に成功して全てを知った。ボクが義母から受けた惨めな思いと同種の屈辱を由紀は受け止めていた。ボクらは大人になることの醜さを初めに知ったんだ。ボクらの親達は、大人の醜い臭いをボクらの家に充満させていた。ボクと由紀は吐き気を催すような気分で毎日を過ごしていた。
「正夫が来とるからまだ帰っちゃいけね」
角の婆さんは、ボクらにそう言ったんだ。ボクと由紀は子どものくせに全てを承知したとても言うように知らぬ顔をして婆さんの家で安い菓子をもらって過ごした。マサ兄が帰るまで・・・

 累々と続く死んだ細胞が形作った人間の波をボクは見詰めていいたけれど、何度目を凝らしても死んでいるのは二人だった。由紀は、まるで幽霊に遇った様な顔をしていた。真っ青だったのだ。それもその筈だった。大人二人がボクらの目の前で死んでいるんだ。神社裏の小さな小屋の中は、大の大人二人が死ぬには、やや狭過ぎた。少なくともボクはそう圧迫感を感じていたんだ。そこへまた新たしい圧迫感が現れた。ボクら子どもを見ても、その男は大人に対するように敬語を使った。彼は刑事と名乗った。
「誰が殺したのかな?」
三田と名乗るその刑事は、ボクらの顔を交互に見ると微笑んだ。
「人間、正直が一番。一番ってのは一番幸せになれるってことだ」
説教がましくそういった。


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