「コノテイドノ稽古でコワレルクライナラ、将来にキボーは無いよ。ヒャッヒャッヒャッヒャ」
魁座亜皇関は、到底実力者と思えぬほどの卑屈な笑い声を上げながら、繰り返し市太郎の背中に踵を落とした。
 市太郎は薄れ行く意識の中で、これで自分の力士生命はお仕舞いだ、と考えていた。魁座亜皇関は明らかに自分を壊そうとしている。このまま大怪我をさせられて、部屋から捨てられるに違い無い。そう思うと、親方と出会ってからこれまでの出来事が懐かしい映画のシーンのように思い出された。
 小さい頃からデブだった。トロくてみんなから馬鹿にされてきた。運動会でもいつもビリ。身体が大きく目立つ分、余計に惨めだった。中学生になると、尚更だった。周りの同級生たちの三倍ほどの勢いで成長していった。ために余計に目立ち、惨めさも三倍増した。もう引き篭もりになろうと決意した日の夕方、公園で親方と出会ったのだった。

 その中年のオヤジは、自分の名前も名乗らずいきなり
横綱にならないか」
なんて言ってきた。時々そういうオヤジが居るのだ。僕のようなデブを見ると即、相撲と直結させるタチの悪いオヤジだ。
「おじさん誰だい?残念だけど、僕、運動苦手なんだ。足も遅いし、トロいから何やっても駄目。ただデブなだけなんだ。相撲なんてとっても無理だよ」
と吐き捨てるように言ってやった。くだらない干渉をしてくる大人は大っ嫌いなんだ。だいたい太ってるからって相撲取りになれは無いだろう。デブには職業の選択も無いのか、って口にこそ出さなかったけど、顔には書いてあったらしい。そのオヤジは
「悪かったな」
と一言言ってすごすごと帰っていった。ところが、翌日公園に行ってみると、また来た。そして同じように「横綱になろう」と言った。まったく余程、相撲好きの相撲オタク!迷惑なオヤジだ!って僕は内心憤慨していた。
「だから駄目だって言ったでしょ。僕、運動神経が鈍いんだから」
「生れ付き鈍い子なんていない。練習すれば大丈夫さ」
「無理だよ。足も遅いし」
「ほう!じゃおじさんが早くしてやろう」
「無理無理。こんなデブな身体で走るのそのものに無理があるんだ」
「やってみなきゃ分からないじゃないか」
「分かってるよ」
「まあ、駄目元でやってみようぜ。万が一、足が早くなったら儲けもんだろ」
「ま、まあそうだけど。でも、面倒臭いなあ。どうせ駄目なのに無駄な努力するなんて」
「そう言うな。じゃ、こうしよう。一週間だ。一週間だけ努力してみよう」
「一週間か。来週、体育で百メートル送の記録測定があるなあ」
「ちょうど良いじゃないか!いったい何秒で走りたい?」
「何秒って?そうだなあ。ビリにはなりたくないなあ。ずっとビリだったからなあ。せめてビリから二番目くらいで」
「駄目だ」
「え?なんだやっぱり無理なんだ」
「違う。貴様、相手の気持ちも考えろ」
「相手の気持ち?」
「そう。貴様に代わってビリになる奴の気持ちだ。悲しいぞ、苦しいぞ。ずっとお前がいたお陰でビリにはならなかったのに、初めてビリになっちまうんだ。本当に引き篭もりになっちなうぜ」
「そっか。そうだね。ビリは僕にお似合いだし、僕の役割なんだよね」
「それも違う。どうせやるなら、ビリから二番では駄目だと言うんだ。お前に負けた人間がたった一人じゃ、可哀想だって言ってるんだ」
「え?」
「一番になるんだ」