普通の高校生活をエンジョイする為には、少し太り過ぎているような気がしていた。ダイエットしなければと思うのだが、相撲部屋に居た頃のドカ喰い癖はなかなか直らない。
「このデブ!少し動かないとますます太るよ」
妹の留美子が罵るように言った。勝手に市太郎の部屋に入ってきたのだ。
「毎日テレビばっか見てごろごろしてる!」
まったく小学生だというのに可愛げが無い奴だ、と市太郎は留美子を睨み付けた。しかし留美子はそんなことお構いなしに続けた。
「まったくパソコンにはまって引き篭もりになるんなら分かるけど、テレビにはまって引き篭もる人なんて初めて聞いたわ!」
二年間、相撲部屋にいた市太郎は、毎日の修行から解放された結果、暇になった。することが無いのでテレビを付けたところ思いのほか面白くてはまってしまった、という浦島太郎のような状態だったのだ。
「まだ、六時前だよ。全然明るいんだよ。その辺でも走ってきたら。本当は運動部にでも入ってしごいて貰った方がいいよ」
なんてことまで言った。
 市太郎だってダイエットの為にも運動部にでも入ろうかと思った。が、もう三年である。同級生たちは皆、最後の大会に向け頑張っている。今更、入れてくれる部などありそうも無いのだ。そう思うと起きる気にもなれなかった。
 留美子はまだあーだこーだと文句を言っている。無口な自分に比べこいつは酷いお喋りだ、と市太郎は思った。だいたいある日突然やってきた留美子を、市太郎は妹だとは思えないのだった。

 留美子は、市太郎がこの家に戻った週の日曜日やってきた。朝食を食べていると突然、母が
「今日、留美ちゃんが来るから」
と言ったのだ。市太郎が誰のことか分からず首を傾げていると
「あなたの妹よ」
と涼しい顔で言った。もしや相撲部屋でぶちかましの練習中に何度か失神し、その時の後遺症で妹の記憶を無くしたのか?と心配してみたが、どう考えても自分に妹がいたなど考えられない。食事の後、部屋に戻って子供の頃のアルバムや日記を見てみたが、妹のいた形跡はなかった。
 しばらくすると玄関で祖母の声がした。
「玄関に置いておくから、市太郎が部屋に運んでおくれ」
留美ちゃんという妹の荷物を運んできたらしい。市太郎は自分の部屋から出て階段を降り、玄関に行ってみると荷物はランドセルや画板。あとは衣類が主なものだが、どう見ても小学生の荷物である。父は市太郎が三歳の時に死んだのだから妹がいたとすれば、最低十四歳の筈。計算が合わないではないか。そんなことを考えていると突然、背後から
「ボーっとしてないで、力があるのだけが取り柄でしょ!さっさと手伝って」
どこからともなく母の声がした。相撲部屋に入っていた二年と少しの間に粗末な家は、周囲にあった十軒ばかりを飲み込むように巨大な城に建て替えられていた。まるで少女漫画から飛び出してきたような洋館である。それが趣味が良いのか悪いのか市太郎には分からなかったが美容業界のカリスマである母が陣頭指揮を取って設計したというのだから、認めざるを得ないだろう。
 再び
「何やってるの?もう、さっさと手伝って。留美ちゃんのお荷物を二階のお部屋に上げて頂戴!」
 館の天井は高く、広い。さながら音楽ホールのように声が響いた。声はすれどどこにいるのか分からない。まるで館そのものが母のようでもあるし、館の天井を通して天上界から母が語り掛けてきているような錯覚に襲われた。しかし話の中身は神々しいものなどではなく、声の調子から苛立っているのは感じ取れた。市太郎は小さく
「はいはい」
と呟きながら腰を上げた。
「はいはい、じゃ無いでしょ!まったく返事の仕方も教えて貰わなかったの?だからお相撲なんて嫌なのよ。野蛮で粗野で、その上Tバックみたいの履いて、なんて破廉恥なのかしら!」
相撲部屋とプロレス道場ほど、礼儀に厳しいところは無いと言うのに、と思いながら市太郎は玄関に行き、祖母が持ち込んだと思われる
荷物を二階に持ち上げた。
 母が朝、妹の部屋と呼んだ部屋は、市太郎の部屋の隣だった。兄妹だから当然なのだろうが、見知らぬ女の子が隣に寝起きすると思うと仲良くやれるか心配になった。相手が小学生で良かったと思うが、今時の小学生は高校生よりタチが悪いかも知れない。
「何ボーっとしてんの!早くこっちへ持ってきて」
母は妹の部屋にいたのだった。市太郎が荷物を持って覗いてみると、ベッドカバーを直したり、カーテンを引いたり、せっせと娘が来る準備をしていた。
「ああ、適当にその辺に置いといて」
と母は市太郎の方も見ずに言った。どうもおかしい。朝、何の前触れも無く「おまえの妹が来るから」と言い出したのもおかしいが、それから今までずっと市太郎の顔を見ない。まるで避けているかのようである。今だって、ベッドカバーもカーテンも昼間掃除に来てくれる高村さんが昨日のうちに準備してくれたように見える。母はただカーテンを開けたり閉めたり、ベッドカバーを摩ったりしているだけである。
「母さん。ちょっと訊いていいかな?」
「駄目よ!今、急がしいの」
「何が?」
「何が?って見れば分かるでしょ。お部屋の掃除よ」
「もうさっきから二0回もカーテンを開けたり閉めたりしてるよ」
市太郎に指摘されると、母は初めて気付いたようにカーテンから手を離した。
「ほほほほほほほほ。レールの滑りが悪いかも、なんて思ったの」
「苦しいいい訳はよしなよ。それより、何がなんだか分からないんだ」
「何が?そんなに難しい宿題が出たの?」
「誤魔化さないでくれ。どう考えてもおかしい。だって、父さんは僕が三歳の時に死んだんだろ。なら、僕に妹がいたとするなら最低十四歳の筈だ」