という訳で留美子と市太郎は異父兄妹だった。彼女が生まれた時、母は美容院を始めたばかりだった。成功の予感すら感じられないほど小さな店だったが、それでも家賃や、設備類の購入費は馬鹿にならなかった。借金の返済に四苦八苦していたのだ。思い返せば貧乏のどん底。更に父親のいない子である。到底、赤ん坊を育てる余裕など無かった。そこで留美子は生まれてすぐ、母の実家にあずけられた。母の両親の元で育ったのだ。それからずっと母は忙しく、実家に戻る余裕は無かった。だから市太郎と留美子は一度も会ったことが無かったのだ。それがこの数年で母が有名カリスマ美容師となり、全国チェーンが大成功を収め、晴れて親子三人、一緒に暮らせることとなったのだ。
 留美子は母親似で、兄の市太郎から見てもなかなかの美少女だったが、口煩いのが玉に瑕だった。父親と言うのが、よほど神経質な人物だったに違いない、と市太郎は思った。
「ああ!なんでこんなデブなの。お兄ちゃんがいるっていうから、スリムで背が高くてスポーツマンの爽やかな人だったらいいなあ、って期待してたのに!」
市太郎はムッとした。その顔を見て留美子は更に続けた。
「背が高いっていうより、ただデカイだけだし、スポーツっていっても相撲じゃあね。格好悪くて友達に紹介出来ないよ」
などと好きなことを言い放った。
「お前さ、勝手に人の部屋に入ってくるなよな!」
「だって私が言わなきゃ、お兄ちゃんずっとそうして寝転んでるでしょ!少しは動かないとますます太るよ!」
などという会話を幾度か繰り返しているうち
「こんちわー」
という声がした。しかし入り口を見たが誰もいない。首を傾げるうち窓が開く音がした。見ると、ベランダから作業着姿の男、いや女が侵入してきた。
「あ!真奈美さんだ」
窓から入ってきたのは市太郎の家の使用人一家の一人娘、真奈美だった。
 本宮真奈美は、子供の頃から隣の家に住んでいた。市太郎とは保育園も小学校も中学、そして高校とずっと同級生である。ほんの数年前まで真奈美の父は三代続く建設会社の社長だった。この近辺の道路や橋、高速道路、ビルなど主だった工事現場にはみんな本宮組の看板が立っていたものだ。だから真奈美の家は、大金持ちだった。屋敷も、当時の市太郎の家の五倍くらい大きかった。車も外車で、運転手までいた。そんな真奈美を、貧しかった市太郎は羨ましく思ったものである。それが、この数年間に何があったのか、突然倒産した。二年ほど前のことである。外車や使用人はすぐにどこかへ消えてしまった。巨大な屋敷も売りに出されたのだ。
 世の中というのは不思議なもので、ちょうど時を同じくして市太郎の母が突如大成功を収めた。すると本宮家の屋敷も含め周辺の家々を全て買収、そこに巨大な城の如き家を建築したのだった。そして、ついでのように広大な庭の一角に小さな家を建てた。本宮真奈美の家族は、市太郎の家の使用人としてそこに住むことになったのだ。
 真奈美は何の遠慮も無く、窓から侵入してきた。
「おう留美ちゃん。こんな空気の悪い部屋で何やってんだ。折角の美少女が台無しだぜ」
「真奈美さんいらっしゃーい。真奈美さんからも言ってあげて!お兄ちゃんずっとテレビ見ながら寝転んでるの」
「何?お兄ちゃん?どこに?」
言いながら真奈美はわざとらしく市太郎の腹を足で踏んだ。
「おお!なんだそこにいたのか。てっきり豚のクッションかと思ったぜ」
 真奈美は、金持ちだったくせに小さい頃から見た目も性格も、喋り方は勿論、まるで男の子のようだった。金持ちだったといっても土建会社の娘だから大雑把というか粗雑に育ったのかもしれない。気の小さい市太郎は、小さい頃から真奈美が苦手だった。そして市太郎が苦手に思えば思うほど真奈美は市太郎にちょっかいを出してきた。そうして市太郎は小さい頃からずっと苛められてきた気がしていた。だから、身体が真奈美よりずっと大きくなった今でも真奈美には抵抗できなかった。
「ひひひ」
真奈美はまるで酔っ払った中年男のような下品な笑いを浮かべると、市太郎の腹の上に乗せた足をぐるぐると回した。
「おーい、このデブ。このまま寝てると本当に豚になっちまうぞー」
それからまた
「ひひひ」
と品無く笑った。