ベンチに監督が現れ、選手が全員集合した。
「今日のメンバーを発表する。といっても十一人ぎりぎりしかいないからな。ま、ポジションを発表するから」
監督はゴールキーパーから始まりデフェンダーミッドフィルダーフォワードの順番にポジションと名前、そして注意事項を一人一人に伝えた。市太郎はいつまで経っても中山の名前が出ないのに首を傾げた。何となく、このまま彼の名前は最後まで出てこないのではないかと思われたのだ。
「最後に、中山。お前のワントップだ」
静かに監督が言った。市太郎は素人だったから、中山が花形のポジションに抜擢されたと内心悦んだ。中山のたゆまぬ努力を監督は見ていたに違い無い。しかし、その後に続いた監督の言葉は市太郎を愕然とさせた。
「中山!とにかく相手のデフェンダーとぶつかれ!で、ファールされろ。ボールには一回も触らなくていい。いや、触るな。お前が触ると邪魔だからな。おーい、他の者は全員、中山目掛けて思い切りボールを蹴るんだ。まかり間違って当たり所が良ければ一点くらい入るかも知れん」
なんと中山は噛ませ犬として扱われたチームの中でも噛ませ犬の役割を負わされたらしい。市太郎は身体に震えが走るのを感じた。なんという屈辱、中山の長年の努力はどう報われるというのだ!そう考えると市太郎は体内から怒りが溢れ出し、叫び出しそうになった。
 それから監督は全員を見回し
「分かったな!」
と大声で言った。全員が「おー」と一斉にそれに答えた。市太郎は中山に声を掛けようとしたが、ベンチの屋根が邪魔をし中山の姿を見つけられなかった。そのうちグラウンドの中央に審判が現れると両チームの選手が一斉にグラウンドに向って走り出した。市太郎はその中に中山の小さな身体を見付けた。他のメンバーに遅れないよう必死で走る中山の後姿を見詰める市太郎に気付いたのか、中山は突然振り向いた。それから市太郎に合図を送るように小さく右手を上げた。
 スポーツニュース専門の深夜番組を見ていた時、サッカーはボールを使った格闘技だと表現していた解説者がいた。最強の格闘技である相撲出身の市太郎は、それを鼻でせせら笑ったものである。しかし、試合開始のホイッスルが鳴って以降、市太郎は考えを改めた。
 試合は国立浜川が一方的に攻め、開始十五分で既に十本のシュートを放っていた。そのいずれもがコース、威力ともに完璧。入ってもおかしくないものばかりだった。しかし問題はシュートではない。国立浜川は、プロの試合などで目にするフェイントなどを一切使わなかった。にも関わらず星雲高校イレブンはボールに触れることが出来ないのである。星雲の選手がボールに触れに行くやたちまち国立浜川選手の屈強な身体に跳ね飛ばされた。まるで圧倒的な身体能力の差を誇示するかのように、国立浜川はプレーしたのだ。
 それでも星雲高校は、ここまで監督の采配が見事に的中したと言っていい。完全に守勢に立たされたものの、キーパーの前に九人が立ちはだかり、まるでスクラムを組むようにゴール前に壁を作った。だから十本の強烈なシュートもキーパー+九人の身体に当たって跳ね返すことが出来たのだ。試合はそのまま進み、前半終了まであと五分というところで国立浜川のシュート数は四十本を数えた。実に一分に一本の割合である。しかし、さしもの国立浜川もゴール前を九人で固める星雲高校の戦術には手を焼いていた。
 その時、国立浜川ベンチの監督が立ち上がった。そして、無言のまま両手を振り、何やらジェスチャーで選手に指示を与えた。しかしポジションを替えるでもなく、特に国立浜川に動きは無かった。
 それから一分後、国立浜川の選手が放ったシュートを星雲高校のデフェンダーがクリア。その時、国立浜川の寄せが一瞬出遅れた。その隙に星雲高校は前線にロングパス。全員が攻撃に参加していた国立浜川の裏を付き、ボールが点々と転がった。国立浜川のデフェンダーを尻目に、唯一守備から外された中山がボールに追い付いた。星雲高校は千載一遇のチャンスを得たのである。
 中山は、その小さな身体が壊れそうなほど必死に走った。足が自分の限界を超えて激しく回転し、肩が抜けそうなほど腕が前後に振れた。目の前の光景は激しく揺れ、ボールが幾つもあるように見えた。それでもこの二度と来ないであろうチャンスを逃す訳にはいかなかった。