監督の叫び声だ。まったく、アレッサンドロ・デル・ピエロの美しいシュートを台無しにするような品の無い物言いだ。そう思って中山が声の方を振り返ると、国立浜川の屈強なデフェンダー達が中山の後ろに迫っていた。中山は慌てて振り上げた足を降ろし、シュートをうとうとするが、国立浜川デフェンダー等の恐ろしい形相に気圧されたのか足が下りてこない。何しろ国立浜川のデフェンス陣は、子ウサギを狩る狼の集団のごとき残虐な表情で、尚且つ薄笑いを浮かべていたのだ。
「あ、あ。いい、ううう」
中山は声にならぬ声を上げ、後方に上がったままの足を必死で振り下ろそうとした、しかし降ろそうとするほどに筋肉は硬直し、動かなくなった。そうこうするうち、国立浜川デフェンダー陣が中山を取り囲んだ。絶体絶命のピンチ。蟻の抜け出す隙間も無くなった。
「こっちだ中山!」
その時、中山を救うがごとくチームメートの声がした。真中、左右に一人づつ、中山の後方から全速力で走ってきたのだ。中山は一瞬で三人を見渡し、敵デフェンダーの間隙を縫ってパスを出した。左サイドを掛け上がって来た須都にパスが通った。須都はボールを受けるとそのまま左サイドを掛け抜けた。中央を走ってきた中浦がその後方から追い掛ける。須都がバックパス。中浦がゴール方向に走りこみながら上手くパスを受けた。逆サイドを掛け上がった梶がゴールまでに突進。ゴールエリア付近でおろおろしていた中山も、相手デフェンダーに押される形でゴール方向に飛びこんだ。遂に中浦がセンタリングを上げる決定的なチャンスを迎えた。
 しかし、それらは全て計画されたことだったのだ。筋書きのあるストーリーだった。そしてその筋書きを書いたのは国立浜川だった。浜橋のデフェンス勢は、ゴール前に集まった中山、須都、中浦、梶の四人を取り囲んだ。惨劇はそこから始まった。まずボールを持った中浦が二人掛かりで左右から、こぼれたボールを拾いに行った須都が前後から、助けに入った梶は四方を固められ、いずれもアメリカンフットボールでもここまでしない、と言わんばかりのショルダータックルを浴びせ掛けられた。それは繰り返し執拗に行われ、倒れそうになる者は下から突き上げられ倒れることを許されず、逃れようにも行く手を先回りされ阻まれた。更にクリアされないボールはいつまで経っても彼等がキープしているように見えるのだ。
 その光景を中山は立ち竦んだまま、すぐ傍で見ていた。しかし何もしなかった。恐怖に身体が硬直し何も出来なかったのだ。頭の中では神に恨み言を並べ立てた。アレッサンドロ・デル・ピエロが乗り移ったなど嘘だったではないか、と。しかし、それは単に中山の勘違いに過ぎなかったのだ。それから驚くほど長い時間が過ぎた気がする。味方の三人は襤褸切れのようになって、夢遊病者のようにさ迷っていた。気付くとボールは星雲ゴールの間際まで行っていた。あれほど強固だった星雲の守りがすっかり穴だらけになっていた。それもその筈である。九人いた守備陣は六人に減ったのだ。
 国立浜川の一人が軽がるとボールを蹴った。さほど威力のあるボールに見えなかったが、星雲の誰一人手も出すことは出来なかった。ボールはやすやすと星雲ゴールのネットを揺らした。
「ピーッ」
ゴールを示す主審の笛がなった。中山の耳に、突然、割れんばかりの声援が飛びこんできた。しかしそれは国立浜川の応援団が発したものだった。中山は夢から覚めたように星雲応援団を見た。芝生の緑ばかりが目立つ観客席には五人ほどしかいなかった。その誰もが口を開けて呆然とした後、中山と目が合うと必死で苦笑いを堪えていた。