後半終了から攻撃に転じた星雲高校の前に国立浜川は強大な壁として立ち塞がった。それはまるで少数のレジスタンスに対し、圧倒的な兵力差を誇示する帝国軍のごとき振る舞いだった。前半、一点をリードされた星雲に残された選択肢は名誉ある敗北か奇跡の逆転勝利か、いずれにせよ攻撃以外に星雲の活路は無い。百戦錬磨の国立浜川には手に取るように分かっていたのだ。両サイドから、あるいは中央からゴール前に迫る星雲イレブンを自陣深くまで誘い込むや、一斉に取り囲み圧倒的なパワーで押し潰した。まず左サイドを掛け上がった須都が三人掛かりで囲まれ、三方から同時にショルダータックルを浴びた。次に中盤の尾乃江がペナルティエリア前で吹き飛ばされる。次いで梶が、中出が地面に叩き付けられた。
「中山!デフェンスは俺が引き付ける!折り返しをシュートだ!」
エース中浦が叫んだ。そこへキャプテン宮友がロングボールを入れる。中浦デフェンダーを三人背負ったままポストプレー、ヘディングで中山に絶好のパスを出した。中山は懇親の力をこめて、右足を振りきった。
 しかし、悲しいかな歴戦のつわもの達にその程度の攻撃は通用しないのだ。中山のシュートは楽々とキーパーにキャッチされた。
『くそっ!』
中山は心の中で呟き、悔しがった。中山は高校サッカーの最後に訪れたこの充実した時間に酔いしれながらも、己が悦びと試合内容の大きな隔たりに胸を締め付けられていた。
 下手糞!誰もが中山に対し思う言葉だ。いや中山自身が一番そう思っていた。自分は下手糞なのだ。だからこれまでも試合に出してもらえなかったし、練習の時だって誰も自分とコンビを組みたがらない。パス練習すらいつも相手がいなかったのだ。でも、それらの全てが単に自分の思い込みに過ぎなかったのではないか、と中山は考え始めていた。自分は下手糞なのだと思う劣等感がいつしかチームメイトを見る眼を歪め、下手糞な人間など相手にしてくれない嫌な奴等と思い込んでいたのかもしれない。人一倍謙虚に生きてきたつもりだったが、それすら劣等感の裏返しだったようだ、と中山は自戒した。
 中浦は何度もポストに立ち、国立浜川デフェンダーを引き付け、競り合いながら中山にパスを出し続けた。その都度、屈強な国立浜川デフェンダー二、三人に取り囲まれ、アメリカンフットボールさながらの強烈なショルダータックルを前後、左右から繰り返し受けた。中浦はまるで土砂崩れの中にでも彷徨い込んだように前後、左右に身体を跳ね飛ばされながら、しかしボールを死守し、一瞬の間隙を点いて中山にパスを出してくるのだ。それは両サイドの須都も梶も、中盤の尾乃江も中出もセンターバックの宮友、中川も、ダブルボランチ白元、服東も一緒だった。みんなが国立浜川の強烈な当たりに耐えながら、必死でゴール前の中山にボールを繋ぐのだ。
 全員の信頼が身体中にひしひしと感じた。これまで一度も試合に出たことの無い自分を信じてくれるチームメイトに、中山は心の中で手を合わせた。劣等感から彼らを歪んだ目で見ていた自分が恥かしかった。何度も何度も国立浜川に叩きのめされ地面に叩き付けられながらもパスを通そうと努力するチームメイトに、なんとか報いたいと中山も必死に動き回った。
 何度目かの中浦からのパスが、ペナルティエリア付近にいた中山の目の前に通った。今度こそと思い、中山は必死に右足を振り切った。ボールはゴール左隅に飛び今度こそゴールかと思われたが、キーパーに簡単にキャッチされてしまった。その時、国立浜川デフェンダーの一人が、独り言のように呟いた。
「まったく、守備の練習だと思って手抜いてやってんのに。もう少しまともなシュートできねえのかよ」
そのデフェンダーは中山を嘲笑うかのように顔を歪め、鼻をすすった。鋭い目を斜に構えた男だった。
「何だと!お前、もう一度言ってみろ!」
中浦が声を張り上げた。中浦は普段穏やかなのに、突然人が変わったように怒り出した。言われた国立浜川デフェンダーは一瞬驚いた顔をしたがすぐに
「練習にもならねえんだよ。下手糞すぎてな!」
と言い返してきた。中浦が「何を!」と詰め寄ろうとしたところへ審判が割って入り人差し指を立てて左右に振った。これ以上やったらカードを出すという合図だ。中浦は我に返ったように呆然として立ち竦んだが、相手の国立浜川デフェンダーは蔑むように微笑んだ。
 後半に入りこれまでのところ星雲が一方的に攻めている。しかしそれは星雲が押しているのではない。国立浜川が意図的に星雲に攻めさせているのは誰の目にも明らかだった。つまり、星雲は国立浜川の手の平の上で遊ばれているだけなのだった。しかし星雲もそんなことは百も承知で挑んでいるのだ。とにかく一点、国立浜川に何点入れられようが一点取ろうと考えていた。点を取ること以外、活路が無いのだ。