皆が中山の顔を見た。一度消えかけた気力が再び沸き戻り始めていた。しかし監督が
「おいおい中山、いい加減なことを言うな。仮に誰か出てくれるって奴がいたってな。これは公式戦だ。登録してない選手は出場できないんだ。うちの登録選手は十一人。だから交代枠は無いんだよ」
と中山を諭すように言った。
「いいえ監督。登録してあるんです。実は昨日の夕方、連盟にファックスを送って追加登録して貰ったんです」
ベンチのやり取りは応援席にも聞こえた。中山の言葉に、ほんの数人ではあるが集まった応援団から「おおー」という気勢が上がった。
「おい中山!貴様、いい加減なことを言うな!誰だ?いったい誰だよ。俺は見たこともねえぞ、そんな奴」
と中山に詰め寄る監督に、中山は観客席を指差して答えた。
「彼です」
監督は首を傾げた。選手達も、客席にいた応援団も皆、首を傾げた。
「誰のことだ?中山。こいつか?」
監督は真奈美を指差した。
「お、お、おれは違うだろーろ。これでも女だぞ。お・ん・な」
「な、な!貴様女だったか?」
「失礼な!セクハラで訴えてやる!」
ざまあみろ、とほくそえみながら市太郎は二人の会話を聞いていた。だいたいショートヘヤにジーンズに黒いTシャツに同色の野球帽という出で立ち以上に、凹凸無くただ手足が長いだけの体型で乱暴な言葉遣いをしていれば、誰だって男だと思う。そのまま男と間違われて試合に出てさんざんに叩きのめされれば少しはお淑やかになるかもしれない、などと市太郎は考えると自然、笑みが零れてきたのだ。
「ちょっと、笑ってないで早くユニホームに着替えてくれよ」
普段、大人しく自信が無さそうにおどおど喋る中山が、毅然として言った。その見る先に真奈美は居なかった。中山の視線の先には市太郎がいたのだ。
「お、おれ!?」
「こ、このデブか!?」
市太郎と監督が同時に驚きの声を上げた。
「そう、市太郎君を昨日の夕方、急遽選手として登録したんです」
中山は微笑を浮かべながらそう言った。

市太郎は新品のユニホームの短パンを上に引き上げた。
「まったく、よくお前に合うサイズがあったもんだな」
真奈美のからかうような声援を無視し、市太郎はピッチに向かって走り出した。その方向には中山がいた。中浦と交替で入る市太郎は、そのままフォワードの位置に入ったのだ。ポジションについては
「どうするかなあ」
と監督は大分悩んでいた。
「これだけのデブをどこに置けばいいんだ?」
しかし悩んだ結果、デフェンスラインや中盤には置けない、という結論になった。強豪・国立浜川を相手に守備的なポジションに素人を置く訳にはいかないのだ。結果、市太郎は中山とツートップを組むことになった。
「おい湊!貴様ゴール前から動くな!とにかくそのどデカイ身体でゴール前に立ってろ!」
監督は市太郎にそう指示を与えてから、他の部員を呼び、小声で
「あのデブに思いきりぶつけろ!間違って入るかもしれん」
と指示していた。
 ピーッと試合再開のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。あっという間に市太郎の周りの選手が動き始めた。敵も味方も目まぐるしく動き始め市太郎はそれを見ているだけで目が回りそうだった。よく考えると市太郎は球技などやったことが無かったのだ。もともと運動神経が鈍いただのデブだったので、サッカーなんて誘われることは無かったのだ。それでもなんとか格好くらいは付けられるようにと、周囲を見渡した。相変わらず敵味方が入り混じって走り回っている。一見、滅茶苦茶に走っているように見えるが、良く見ると何らかの秩序が存在しているようにも見えるのだ。市太郎は皆がどういうパターンで動き回っているのかと何人かの動きを見詰めてみた。しかしさっぱり動き方の根拠が見つからない。素人が簡単に理解できるほど単純なものでは無いらしいのだ。そうしているうちボールを見失った。慌ててボールを捜す。が、どこにも見つからない。それとともに自分の周りの選手達の動きが更に目まぐるしくなった気がする。市太郎はその場でぐるぐると回り始めた。三六0度を二回、三回と周るうち、ボールを見つけるどころか相手のゴールがどこにあるのか分からなくなって、更には自分が今、相手のゴールを向いているのか味方の方を向いているのかさえ分からなくなった。それどころか自分の周りの選手達が年十人、何百人に増え始め、皆が同じ方向に向かってぐるぐるぐるぐる走り回り始めた気がした。
「みなと!」
誰かが呼んだ気がした。次いで中山の
「湊君!」
という呼び声も聞こえた。振り向いて中山を探そうとするが、目の前がぐるぐる回って見付からない。そのうち右足が左足に絡み付き、気付くと目の前に空が広がっていた。次の瞬間、目の前に広がった青空の中に白い点が現れた。白い点は徐々に大きくなり、遂には球体になった。あれは何だろう?と市太郎が首を傾げるうち、それはどんどん大きくなって、とうとう市太郎の視界を全て覆い隠したのだ。
がーんんっ!
と頭の中で大きな音がした瞬間、顔面に鈍痛が走った。市太郎はそのままもんどりうって背中から地面に倒れこんだ。受け身を取る余裕も無く、したたかに背中を地面に打ち付けた。
「惜しい!」
何人かが同時に叫んだ気がした。
「惜しい!凄いヘディングシュートだ!」
中山の顔が視界に現れた。中山が指差す方を見ると国立浜川のキーパーが倒れこんで必死にボールを掴んでいた。どうやら世の中にはまぐれというものが本当にあるらしい、と市太郎は思った。