たしかにこれでは身動きが取れないどころか、ヘディングに乗じて三方から身体をぶつけてこられたら、ひとたまりも無い。絶体絶命だ!と市太郎は心の中で叫んだ。叫んだ直後にボールが頭に当たったのを感じた。叫んだ時、口を空けてしまった為に、ボールが当たった衝撃で舌を噛んでしまったらしい。口中に激痛が走った。市太郎は目の前に星が幾つも飛び、もんどりうって地面に転んだ。転んだ瞬間、中山がドリブルしていくのが見えた。中山は苦も無くドリブルし、ゴールに向ってボールを蹴った。あっけなくボールはゴールに吸い込まれた。ハイエナ達はどうしたんだ?と市太郎は首を傾げた。あれほど執拗な彼らが中山をやすやすと突破させるなど考えられないことだった。第一、自分も何も危害を加えられてい無い気がする。
「やったー!湊君。ありがとう。凄いポストプレーだったよ!」
市太郎は立ち上がりながら中山に抱き付かれた。
「中山君。凄いじゃないか!あのしつこいデフェンダーを楽に振り切るなんて」
「何言ってんの。湊君のお陰さ」
言いながら中山が指差す方を見ると、三人のデフェンダーがひっくり返っていた。まるで突風に吹き飛ばされたように、酷いダメージを受けているようだった。
「湊君のパワーは凄いね。三人がかりでも止められないよ」
市太郎はまたしても狐に摘まれた思いがした。

 国立浜川の監督・国松剛史が静かにベンチから立ち上がった。白髪の目立つ頭、太りじしの身体は彼の貫禄を示すに十分だった。実際、彼は名将と呼ばれるに相応しい実績を有している。高校選手権での度重なる優勝のみならず、数多くのJリーガーを輩出し、更に日本代表においても多くの彼の教え子がいる。サッカー専門誌が彼を紹介する際に使う”名白楽”の称号こそ相応しいと他人だけでなく自分も認めていた。当然、Jリーグの監督に誘われることも多かったが、Jリーグの現チェアマン田伏幸一と仲が悪かったのだ。それは現役時代にまで遡る因縁で、猪突猛進型のストライカーだった国松から見ると視野の広い司令塔・田伏は世渡り上手のセコイ奴としか思えなかったのだ。
 思い起こせば1968年スコットランド大会アジア予選でも二人の意見は衝突した。それは更衣室での出来事だった。田伏の発案で練習後、選手全員が更衣室で緊急ミーティングを行ったのだ。
「明日のパラフスタン戦、負けちゃおうよ」
田伏が言い出した言葉に国松は耳を疑った。
「貴様!八百長をやろうってのか!」
「違う違う。隣のF組みがさ、何を間違ったか韓国が二位になっちゃったでしょ。ってことは明日俺達が勝っちゃえばG組一位通過ってことで最終トーナメントの一回戦で韓国と戦うことになっちゃうんだよ」
国松には田伏の言う意味が理解出来なかった。少し理解できる気もしたが、理解したくなかった。
「つまり貴様は、強豪の韓国戦を避ける為に明日負けて意図的に二位になろうって言うのだな?」
「ぴんぽーっん。その通り。頭の固い国松にしては珍しいな。得失点差で考えても、五点差以内の負けで二位通過。相手がパラフスタンだからさ、余裕だよ余裕。」
「ああ、そのくらいは俺にだって分かる。つまり二位になれば決勝まで韓国と当たらない。でアジアの出場枠は三だ。つまり決勝で負けてもワールドカップの出場権は得られる」
「イエーイ!国松。お前いつからワールドクラスになったんだい?それだけ頭の回転が速ければワールドカップ後に欧州移籍も夢じゃないぞ。そうだな。お前はパワーが売りだからイングランドが合ってるかもな。マンチェスター辺りはどうだ?ま、それは置いといて、とりあえずそういうことで明日は負けよう。ま、ニ対一くらいならそれっぽいだろ」
田伏は屈託無くニコニコ笑った。他の選手達も笑った。国松も一応笑った。が、次の瞬間
「ふざけんな!この野郎ーーー!」
と国松は大声を張り上げ、田伏を睨み付けた。