「ど、ど、どうしたんだよ。なんかまた視野の狭い面倒な話を始めるんじゃないだろうなあ」
「視野が狭くて悪かったなあ。俺は視野の狭いただの馬鹿かもしれんが、貴様はスポーツマンシップに悖る狡猾漢だ!」
「す、す、すぽーつまんしっぷ?」
「宿敵韓国との戦いを避け、ワールドカップに出場して何になるんだ!そんな根性で本大会で世界の強豪と渡り合えるか!」
「こ、こ、根性って」
「韓国を破ってこそ出場する意義がある!」
「で、でもな。仮に韓国に勝ったって、その次に当たるのはサウジだぜ」
「まだ分からんのかー!韓国だろうがサウジアラビアだろうが、アジアで勝ち抜けぬ者にワールドカップに出場する資格は無ーい!」
「資格ってそれはお前が決めることじゃないだろうーよ」
詰め寄る国松に向って田伏は両手を広げ、近付いた。そして親鳥が小鳥を包み込むように両肩に手を置いた。
「いいか国松。お前の純粋な気持ちは良ーっく分かる。だがな、戦いってのはな一試合一試合じゃないんだ。大会全てを見通して考えるのが世界標準なんだよ。分かるか?世界標準。グローバルスタンダードって言うんだよ」
田伏は国松を諭すように言った。
「国松。ここまで来たらもう戦術の問題じゃ無い。戦略的思考が必要なんだよ。お前の言う通りアジアの国を恐れていては、ワールドカップで世界の強豪と渡り合うなんて出来ない。でも出場することに意味がある。出場することで俺達は成長するんだ。クーベルタン男爵だって言ってるだろ」
クーベルタン男爵はオリンピックの話だ、と国松は思った。しかし一人のスポーツマンとしてクーベルタン男爵の言葉には共感するところがあった。国松は、田伏の言葉に同意すべきかもしれない、と思い始めた。が、次の田伏の一言で全て吹き飛んだ。
「今回のワールドカップが惨めな結果に終わっても、初の出場を果たした俺達は協会の何階級も特進で幹部になれる。そうしたら俺達の理想の代表を作ればいいじゃないか」
やっぱり!こいつは前々から怪しいと思っていたのだ。サッカー選手だというのに所属するハンマー製作所では営業係長などという肩書きを貰っている。普通の社員でも二十代前半では異例の出世だ。しかし聞くところによると異常な営業上手、接待上手で抜群の営業実績を上げているというのだ。営業部では”マシンガントークのタブちゃん”という異名まで頂いていると言う。
『こいつはアジア予選どころか、己が人生全体を見通して行動している。サッカーを立身出世の具としようとしているのだ。あのピッチ全体を見通すようなキラーパスの先にサッカー界を我が物にしようという姦計があったとは!』
国松の頭の中で血管が弾けた。血が逆流するのを感じた。このような悪辣漢に日本のサッカーを自由にされてたまるか!少年の日、テレビアニメ「若き血のイレブン」を見てサッカー選手を志した国松にとって、サッカーは根性が全てだったのだ。
「田伏!貴様死にゃらせ!」
国松が田伏に殴りかかった。それと予測していた田伏はひらりと身を翻し、廊下に飛び出した。
「待て!成敗してくれるわ!」
国松も廊下に踊り出ると田伏の後を追った。視野の広いファンタジスタ田伏は、国松の予期せぬ方向に身を翻しては逃げ回った。何度も逃しそうになりながらも”一人攻め達磨”の異名を持つ国松は持ち前の執拗さで田伏を追い回した。その鬼ごっこは深夜まで続き、翌朝、チームメートが朝食に起きてきた時、二人は庭の芝生の上で絡み合っていた。遂に国松が田伏を捕らえたのだ。しかし二人とも戦う体力は残されていなかった。ただ国松が
「この野郎この野郎」
と田伏の頭を叩いていた。