パラフスタン共和国は、人口一万人の小国である。前年、大国ソビエト連邦から独立したばかりだった。通常、ソ連は独立など認めないが資源も産業も無いこの地域からの税収は限りなくゼロに近い上、失業保険や年金などお金ばっかり掛かったのだ。そんな時、欧州やアメリカ、日本などの民主化運動に影響を受けた一部の若者が起こした独立運動ソビエト政府にとってみれば渡りに船だった。ソビエト政府はほんのちょっとだけ、格好付け程度に軍隊を派遣して鎮圧するふりをしてみせた後、あっさり独立を認めてしまったのだ。
 そうやって出来たパラフスタン共和国だから当然、サッカーも弱い。日本の国立競技場に来るだけで、一年分の国家予算を全て使ってしまったのだ。だからパラフスタンの政府も選手も国民も、参加することに意義がある、とだけ思っていた。しかし試合が始まってみると日本のエースと司令塔が、どうやら二日酔いらしかったのだ。おかげで日本チーム全体がちぐはぐだった。東洋のコンピュータと謳われた指令塔・田伏のラストパスは全てカシミに渡り、エース国松のキャノンシュートは日本側ベンチを直撃した。そしてそれにも増してパラフスタンのエース・カシミのプレーが神掛かっていた。蹴れば入る。国内の草サッカー以外ではノーゴールのエース・カシミがアジア新記録の一試合六得点を上げた。試合が終わってみると六対〇。パラフスタンは遂に成し遂げた国際試合初勝利に歓喜した。日本代表はというとワールドカップどころかアジア最終予選トーナメント進出も逃したのだ。
 国松はその日の屈辱を生涯忘れはしない。いや田伏を一生許してやらない、と思っていた。だから彼がチェアマンを勤めるJリーグになんて行ってやるものかと固く誓っていたのだ。
 そんな国松の心が揺れた。遂にワールドクラスのストライカーを発見した感動に国松は目の前の試合を忘れ、身体を震わせたのだ。、いや正しくはまだワールドクラスとは言えない。ポジショニングに無駄がある上、足元の技術が低い。しかしこれまで日本人が世界に撥ね付けられた最大の障壁、ワールドクラスのパワーをその選手は有り余るほど有していたのだ。国松が手塩に掛けた国立浜川のデフェンダーはアジアレベルではプロを含めてもトップクラスの筈だった。その自慢の3バックが軽々と吹き飛ばされた。それも竜巻に巻き込まれたように一瞬でだ。
『あいつは誰だ?』
執着心の強い国松の脳味噌には、日本中の選手の情報が入っていた。あるく選手名鑑を自認している。しかしその太った巨漢の高校生を国松は知らなかった。
『もっと見てみたい。底知れぬパワーの底を覗いてみたい!』
国松の執着心は押さえきれぬほどに燃え滾り、遂に国松を動かしたのだ。
 国松はベンチを立ち上がり、両手を上げて合図した。ボールをセンターサークルまで運んでいる最中だった国立浜川イレブンは、国松監督のサインに凍り付いた。
「あれをやるのか?」
国立浜川のキャプテン、ボランチの室井は小さく呟いた。
「こんなチーム相手に」
もう一度確認するように国松監督の表情を窺った。厳格な監督の表情に迷いは無かった。室井は3バックとダブルボランチの相方に目配せした。
『あれをやる』
『本当に?』
『本当だ』
五人の間に合図が交わされた。そして五人同時にゴクリと唾を呑み込んだ。
 それにしても、こんな弱小チームにあれを使うとは思わなかった。本来であれば全国大会で、強豪にいる突出したフォワード相手に使うものだ。例えば鹿児島工業の大山や平久保のような天性のストライカーを相手にすることを想定していた。