『交代で出てきた星雲のフォワードが只者ではないのはたしかだ。少なくともパワーでは、全国一の屈強さを誇る我が3バックを子ども扱いした。しかし、かといってあれを使わずとも十分星雲には勝てる。国松監督は何を考えているのか?』
室井の疑問はもっともだった。これは公式戦である。まして高校選手権の地区予選の地区予選。強豪国立浜川にしてみれば、こんなところで苦労せずにあっさりと避けたいところなのだ。しかし国松にそんな理屈は通用しない。国松にとって一戦一戦が真剣勝負なのだ。いや、ワンプレーワンプレーが真剣勝負。大会全体を見渡すなど論外なのだ。それどころか今、国松の関心は敵のフォワード湊市太郎に向いていた。国松があれをやるよう指示したのは、市太郎の実力を試してみたくなったからなのだ。こういう考え方をしてる限りは、もしかしたら三十年前のワールドカップアイルランド大会アジア一次予選パラフスタン戦のように在り得ぬ敗北を喫してしまうかもしれないなー、と心の中で少し思うところはあったが、国松は我慢できなかった。
 ”一人攻め達磨”の異名を取った国松だったが高校サッカーの監督になってからはすっかり守備の鬼になっていた。三年間無失点、百試合連続無失点など守備の記録を続々と塗り替えてきたのだ。その国松が今年になって考え出した究極の守備術が”五人でワッショイ”である。将来自分の教え子達が日本代表の中核を担った時、海外の大型ストライカーを封じる為の秘策でもある。名前の通り、五人でやるもので、五人とは3バックの三人とダブルボランチの二人である。まず3バックの三人がゴールに突進する敵ストライカーを通せんぼする。前に進めなくなりながらも、パワーで押し切ろうとする大型ストライカーをダブルボランチの二人が後ろから羽交い絞め、いやブロック。身動きが出来なくなった敵ストライカーを押し競饅頭のように五人でギュウギュウと押し、ワッショイワッショイとペナルティエリアの外に運び出してしまう、というものだ。その間に圧死させないまでも気絶くらいさせられれば最高だ。という恐ろしい技なのだ。
 監督の考えが変わらないのを確認すると、室井は小さく右手を上げて合図した。同時に3バック、室井ともう一人のダブルボランチの五人が、何気なく市太郎の周りに集まった。ちょうどそこへ星雲の最終ラインから鮮やかなロングボールが入ってきた。市太郎は再び中山を探した。中山の位置を確認すると、ボールの落下を待った。
『いくぞ!ストライカー殺し”五人でワッショイ”』
室井を始めとする国立浜川の守備陣五人がキラリと目を輝かせた。
 戦術サッカーの忠実な体現者である室井に失敗の文字はない。名門・国立浜川のキャプテンは攻守に渡る傑出したゲームメーカーであるとともに、戦術サッカーの申し子と言えた。いかな複雑な戦術をも瞬時に理解するコンピュータのごとき頭脳。それは、時として漫画の技か?と思われるほど奇妙奇天烈な国松の発想すら受け入れ、見事に現実のプレーに再現してしまうのだ。そもそも”五人でワッショイ”などという技そのものが、ほとんど反則。良く言って現実味に欠けるものであるのは明らかなのだが、室井の超の付く戦術頭脳がそれを現実のものとした。
 室井は、彼がいつもそうするごとく、まるで精密機械でも扱うように一ミリの狂いも許さぬポジショニングとタイミングを味方に要求した。国立浜川の3バック&ダブルボランチは、サッカーど素人の市太郎になぞまったく気付かれぬまま市太郎を取り囲んだ。すっかり準備万端になったところへ星雲デフェンスラインからロングボールが舞い降りてきた
 市太郎がヘッドというより顔面全体でボールを受けようとしたその瞬間、「今だ!囲め!」という声が聞こえた。それは一軍を率いる指揮官のそれに似て、無感情にして冷徹な響きを持っていた。ボールを頭に受ける刹那、市太郎が目だけで下を向くと、眼下の男と目が合った。男の目は市太郎を静かに見据えていた。それはスポーツマンの目ではない、と市太郎は感じた。狩猟者の目だった。その瞬間、市太郎は自分が罠に掛かった獲物になったような気がした。この狩猟者は罠を掛け、じっと自分を待っていたに違い無い。そして罠に掛かった獲物を慎重に捕獲すべく体勢を整えているのだ、市太郎の本能がそう告げていた。
 司令塔と呼ぶにはあまりに現実主義者の室井は、まさにピッチの指揮官と呼ぶに相応しい。そしてチームメート達は彼の有能な部下に過ぎないのだ。3バック、ダブルボランチを構成する部下達は今、室井の指示に寸分違わぬ正確さで敵の大型フォワードを取り囲んだ。弱小チーム星雲など眼中になかったせいか、湊などという選手、誰も耳にしたことはなかった。更に彼のサッカー選手とは思えぬ太った体型に、少なからず侮ってしまったことを反省していた。しかし体型からは想像出来ぬほどにフォワードの足は速く。そして体型が連想させるとおりの尋常ならざるパワーを発揮され、思いも寄らぬゴールを許してしまったのだ。もはや失態を取り戻すには、このフォワードを叩き潰す以外にない、と誰もが思っていた。