※テレビ版の「のだめカンタービレ」の続きを勝手に書いてみました。

(所謂二次小説で、本物とは一切関係ありません)



めぐみの指差したのは、廊下の中ほどにある部屋。ドアがほんの少しだけ開いていたのだ。

「ああ、またこのドア開いちゃう。もう何回も鍵屋さんや建具屋さんに来てもらって直してるんだけどねえ。まさか建て付けが悪い訳でもないだろうし・・・」

とマルチナがノブを握って閉めようとすると、めぐみが

「ちょっと待って下さい」

と言ってドアを開いた。

「うわあ。暗い部屋ー。なにかオゾマシイものが住んでそうな・・・」

「やあねえ、のだめちゃん。縁起の悪いこと言わないで」

三人が部屋の中に入るとマルチナが蛍光灯のスイッチを入れた。。

「あら?おかしいわね。なんだか暗いわ」

「あああ、やっぱり変ですよこの部屋。昼間なのにこんなに暗いし電気も点かない。お化けが住んでるんじゃないでしょうか?」

「ああ、ここはたしかに縁起の悪い部屋だ」

「先輩、その縁起の悪い部屋とはどーいう意味なんでしょう?」

「ふん!あいつの部屋だ。あいつが練習室として使ってたんだ」

「お父さん?お父さんの練習室がなんで縁起悪いのでしょう?」

それはだな、と言いかけてやめた。ふいに生々しいシーンを思い出したのだ。学校を早引けして帰ってきたあの日、マルチナは市場に買い物に出ていたのだ。一人帰宅したオレは自分の部屋に向かおうとして父の練習室のドアがわずかに開いているのに気付いた。そこから漏れる男女の声。ドアの隙間から垣間見た不適切な関係。そうだ!あの時からこのドアノブは壊れてたんだ。

それに!思い出した。これだ!伸一は突然、ガッガッと力強い大股で歩くと窓際に立った。カーテンを開き窓を開け放つ。

「見ろ!雨戸を閉めてやがる」

鉄製の雨戸が閉められ太陽の光を遮っていたのだ。この部屋が真っ暗だった秘密が明らかになったことにめぐみもマルチナも口を開けて驚いた。伸一は力任せに雨戸の閂を抜くと目一杯開いた。鉄製のそれはギギギッという軋む音を立てながら左右に開いた。それとともに部屋には眩しいほどの陽光が注ぎ込み、部屋の中央に君臨するかのごとく置かれたピアノの姿を露にした。

「マルチナ!部屋の掃除をする時気付くだろう不通」

マルチナは気まずそうにもじもじしてから小さな声で

「だって雅之様が絶対入るなって言うんだもの。大変なものがあるからって」

そうか。父か。あいつ、あの日以外にもこの部屋で怪しいことを繰り返してたに違いない。なーにが大変なものだ。大変なところを見られたくなかっただけだろ。伸一がそう溜息を付いているとピアノの音色が響いた。めぐみだ。

「調律してないけどいい音ですねこのピアノ」

シューベルトのピアノ協奏曲イ短調を弾き始めた。切ない旋律が部屋の中を満たし始めた。

哀切、苦悶、歓喜、激情、踊るような心の動きが音符となって部屋の中を飛び跳ねているように見える、のだめの真骨頂だよな、と伸一は目を細めた。ろくに音楽の勉強もしなかったくせに欧州に留学できたのも、ひとえにこの曲この演奏のお陰だ。日本で開催されたマラドーナピアノコンクールで初めてこの曲を演奏しオクレール先生に見出された。それがきっかけでフランスの名門音楽学校・コンセルバドワールに入学できたんだ。それからコンセルバドワールで自分の音楽に迷いどん底に落ち込んだ時も、オクレール先生からこの曲の演奏を求められたことで立ち直った。

「なんて弾き方するの。なんだか心が揺さぶられてしまう」

マルチナが目を瞑ってのだめの演奏に聞き入っていた。伸一もそれに倣うように瞼を閉じた。もの静かな時間、それでいて心ざわめく旋律、陽の光に愛されたような暖かい触感、それらが交互に訪れた後、めぐみがいつの間にか指を止めた。

「こんな鍵盤初めて見る」

めぐみの声に呼ばれたようにマルチナと伸一は目を開き、鍵盤の前に立った。そこには擦り切れた鍵盤が並んでいた。いやこのピアノのすべての鍵盤は擦り切れ、削れて形を変形させていた。角が取れ丸くなったものから既に穴が開いて中が丸見えになったものまで原型を留めているものの方が少なかったのだ。しかしそれは人為的に何かの機械で削ったものなどではなく、例えれば悠久の水の流れが巨大な岩石を削ったごとく、無限の時間の中に吹く風が幾先年の年月の中で巨木を変形させたごとく、なめらかで流麗なカーブを描いていた。