※テレビ版の「のだめカンタービレ」の続きを勝手に書いてみました。

(所謂二次小説で、本物とは一切関係ありません)



「どうすればこんな削れ方をするんだ?」

伸一は思わず口に出して呟いた。頭の中ではありとあらゆることを想定してみたが、誰か一人の、いや一世代の仕業でこうなることなど想像が出来なかった。くそ!なんなんだこれは?伸一は鍵盤の一つに指を置き、そのカーブをなぞってみた。なぞった瞬間何ものかが身体の中に進入してきた気がした。それには何か恐ろしい意思を感じた。それは伸一の五体を蝕み、思考を歪ませようとしているようだった。なんなんだ!畜生!オレの身体を乗っ取る気か!伸一は全身に懇親の力を込め、その”何ものか”恐らくはピアノに憑いた魔物の類であろうモノを体内から追い出した。

「ふー」

と思わず溜息を付くとめぐみが

「大丈夫ですか?先輩」

と心配そうに声を掛けてきた。まだこの部屋のどこか、なんとなくピアノの足元辺りから誰かに睨まれてるような気もしたが心配されるのも嫌なのでそうは言わなかった。

「ああ、大丈夫。なんでもない」

「びっくりしたー。悪魔にでも取り憑かれたのかと思いましたよ」

のだめには気付かれたか、と思った。鉄の雨戸を開け真っ暗なこの部屋に太陽の光を呼び込んだというのに、どうやら魔物は消えていないらしい。しかしそれを口に出してはいけない。二人が怖がるだけだ。人間の恐怖が魔物の大好物なのだと聞いたことがある。そんなことを伸一が考えてる時、突然マルチナが

「あぱぱぱぱぱっ!」

と叫ぶと後ろにひっくり返った。背を反らせたまま両手を床に立て、ちょうどブリッジをした姿勢になったのだ。恐ろしいことにマルチナはそのまま

「ケケケケッ」

と叫びながら部屋中を歩き回ったのだ。まるで表裏が逆になった蜘蛛のごとき姿で右へ左へと器用に移動するマルチナの姿は誰が見ても悪魔に取り憑かれた者だった。伸一が

「ひいいいい!」

と悲鳴を上げるとめぐみが

「悪魔!先輩、悪魔祓いをしなければ」

と叫んだ。

「聖水、聖水はどこにあるんですか!」

「バカ!そんなものある訳ねえだろ!」

「だってここは外国ですからそういうものがどこかに」

「外国たってそんなもの教会にしかねえだろ。それにここはオレの家だ!ウチは先祖代々仏教なんだよ」

「それでは二人でお経を唱えましょう。まかはんにゃーはーらーみたー」

お経が西洋の悪魔に効くのかよ?と呟きながらも伸一はついつられて手を合わせてしまった。するといきなりマルチナが起き上がった。身構える伸一とめぐみに向かって

「どう?凄いでしょ。エクソシストみたいだった?」

なんてケロッとした顔で言った。

「わたし若い頃体操やってたのよ。めぐみが悪魔なんていうからつい大好きな映画のワンシーンを思い出しちゃった」

続けてそうのたまうマルチナの後頭部に伸一はラリアットを喰らわせてやろうかと思った。ところがめぐみは

「凄ーい!マルチナさん。わたしにも教えて下さいよ。これ、忘年会でやったら盛り上がるー!」

なんて言ってマルチナになついてしまった。こんなくだらない芸を覚えたいバカも世の中には居るんだと思い伸一はげっそりした。

そんなこんなで父のピアノ練習室を出て子供時代を過ごした自分の部屋に行ったが、既に疲れ切ってて懐かしむエネルギーが空っぽになっていた。エントランスに戻り広いホールに置かれたソファの一つに腰掛けるとどっと疲れが沸き上がった。めぐみはというとマルチナとブリッジ歩きの練習をしていた。ふん大変な変態だ、と半ば呆れながら伸一は背凭れに全身を預けて窓の外をぼうっと眺めた。気付くと夕刻になっていた。いつの間に、と思っているうちどんどん陽が翳った。東欧の陽が沈むのは早い。あっという間に夜が訪れるのだ。

「ねえ、伸一。泊まっていきなさいよ」

マルチナの提案に伸一は一瞬顔を歪めた。まさかこいつ、めぐみと二人で一晩中エクソシストの真似を練習しようってんじゃないだろうな?と嫌な予感が走ったのだ。丁重に断ろうとした時にはもう二人はキッチンでわいわいやり始めていた。くそ!仕方ないか・・・伸一は諦めた。もっとも子供時代の思い出に溢れたこの家に泊まるのも悪くない。いや、楽しい。そもそもさっきはまったく思い出に浸れなかった。泊まるということはこれからゆっくり懐かしむ時間が出来たってことじゃないか。例えばそこの太い化粧柱、石作りの壁の角にそこだけ異質な木柱が埋め込まれていた。太さはそう、楽に五十センチはある。皮が剥かれつるつるになったその表面に小さな穴が開いているのが見える。伸一はソファから立ち上がると柱に近付いた。やっぱりそうだ。遠くからは穴に見えたけど、これはビエラ先生の顔、子供の頃に小さなナイフで彫ったんだ。母さんに叱られたっけ。危ないでしょ、ってね。でも母さんの目を盗んでは何度も彫り直したんだ。幾ら彫り直しても似てこないから何度も何度も。そのうちどんどん深く彫れてしまいとうとう穴みたいに深く掘れてしまった。たまごっちを入れとくのにちょうど良かったんだよな。伸一がそんな思い出に浸っているとキッチンから声がした。