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※テレビ版の「のだめカンタービレ」の続きを勝手に書いてみました。
(所謂二次小説で、本物とは一切関係ありません)
伸一はその場にへたりこんだ。なんなんだ?これは。これが音楽だというのか?芸術だと?呪術か?はたまた催眠術の類か?なんだか分からないけど音楽を楽しむ余裕なんてまるで無かった。ただ幻影か白昼夢か分からないものを見せられ続けただけじゃないか。伸一は顔を上げシュトレーゼマンを見た。なんだこれは?あんたがこんな演奏するとは思わなかったよ。え?師匠!しかしシュトレーゼマンは伸一の方を見向きもせず鳴り止まぬ観衆の歓声に応えていた。そう呆れ果てているのはどうやら自分一人らしい。
「すごい」
隣でめぐみがポツリと呟いた。凄いだと?オレ様にも分からないのになんでこいつが分かるんだ?なにより演奏が聴けたというのか?のだめだけじゃない。他の観衆もそうだ。まさか、まともに演奏を聴けなかったのはオレだけなのか?一瞬、不安がよぎり伸一はなんとか演奏を思い出そうとしてみた。しかしたった今、聴いたばかりだというのに、どんな演奏がなされたのかまるで思い出せなかったのだ。思い出すのはあの忌まわしい光景、オケのメンバーが次々と倒れていく。それは幻影では無かったようだ。雅之とシュトレーゼマンに続いて百人にも上るオケのメンバーがまるで災害現場から引き上げるようにある者は脚を引き摺り、ある者は腕を抑えながらステージの奥に消えていった。いったいどんな演奏だったんだ?わずかに思い出すのは最初の曲、雅之がソロで演奏したリスト超絶技巧練習曲第5番の途中から突然、異様なフォルテシモ、異様に早いリズムで演奏を始めたことだ。まともな奏者では音符を追うだけで精一杯になってしまうあの難局をおよそその二倍に近い高速で弾いていた気がする。
『最低だ!』
伸一は気狂いじみた雅之のテクニックを蔑むように吐き捨てた。神の領域に達したなんて言うからいったいどんな凄い演奏をするのかと思ったら、あいつは奇術師か!ふと気付い伸一は足元を見た。たしかに嘔吐した筈なのに、口内にはあの不快な酸味が残っているというのに、今自分の足下には色鮮やかなカーペットが平穏に佇んでいるだけだ。あれも幻影だったのか?ふ!馬鹿馬鹿しい。あいつは催眠術でも会得したのか?結局、なんだか分からなかったじゃないか。伸一はのだめの腕を引いた。
「帰るぞ!」
気付くとすっかり観衆は帰ってしまい、客席には伸一とめぐみだけが残っていた。伸一がもう一度腕を引っ張って帰ろうと促すがめぐみはステージの方を見詰めたまま一向に動く気配が無かった。
「お、おい何やってんだ?」
伸一は不思議に思いめぐみの顔を覗き込んでみた。驚いたことにめぐみの瞳は相変わらず高速で回転していた。
「おい!のだめ大丈夫か!?」
「す、すごい」
伸一が身体を揺すってみてもめぐみは目を回したままだった。
「おい。伸一」
その時、突然地の底から這い出てきたようなバリトンの低い響きがホールに木霊した。伸一はめぐみを抱えながら声の発信源を探した。それはすぐに見付かった。ステージの袖から雅之が現れたのだ。
「ふふふ伸一。どうだったオレの演奏は?」
「どうもこうもあるか!?なにがなんだか分からないじゃないか!」
「なーにが何だか分からなーい?ほんとにそーなんですかー?」
突然、シュトレーゼマンの声が耳元でした。しかし振り返ったがいない。慌てて辺りを見回し探しているとステージの上から
あははははは、
という笑い声の二重奏が聞こえた。ステージの中央に雅之とシュトレーゼマンが並んで立ち、こちらを見下ろしていたのだ。
「なんなんだ?貴様ら。ふざけんてんのか!?」
「ふざけてんのは伸一、君でーす」
その言の意味が理解できず首を傾げる伸一にシュトレーゼマンは更に続けた。
「なにがなんだか分からんというくせに、その頬を伝う涙はなんですかー?」
涙?伸一は右手の指で自分の頬に触れてみた。じっとりと濡れそぼっていた。続いて左手で左の頬に触れたが、同じように濡れていた。
「それは何ですかー?」
こ、これは、、、息苦しいほどの感動という衝撃が湧き上がってきた。な!なんなんだ!?こんなの感動じゃない。感動なんかであるものか!嫌だ!ああ気持ち悪い。なんだか分からなかったのに、感動だけが沸き起こってくるなんて。少年のオレが、、、父が帰って来なくて、、、友達はいつも父さんと釣りをしたりサッカーをしたり、、、オレもそうしたかったのに、、、ああ!違う!嘘だ!そんなことある訳が無い!そんなこと、、、ああ、だから音楽だけがオレの、、、音楽と一緒にいる時、、、音楽の天使が一人ぼっちのオレの目の前に舞い降りたんだ、、、それから寂しくなくなった、、、ずっとそうやって生きてきたんだ、、、なんなんだ!いったい!こんなの幻覚だ!オレはそんなことない!そんなことないんだ!
「苦しいですか、伸一?」
「苦しくなんか無い!全部出鱈目だ!」
「出鱈目ではありません。すべてを受け入れなさい」
「嫌だ!絶対嫌だ!」
「今まで見たことがない、感じたこともない世界が広がりまーす」
「ああー!嫌だ!絶対認めない!」