◇◇別離◇◇
 翌朝、早くに目が覚めたわたしは私鉄の時刻表を見るためにロビーへ降りた。私鉄は長野電鉄という一社しかない。更に単線だから、壁に張られている時刻表は単純なものだった。
 取り敢えず父の元を訊ねてみようと思ったのだ。祖父母はとっくに死に、わたしの肉親といえば父と叔父の正夫の二人である。思えば父を見舞うのも随分、久しぶりな気がした。ついでと言ってはいけないが、離婚の報告もしなければいけないと思った。
 しかし時間表を見ているうち、わたしはおかしなことに気付いた。単線の発着しか書かれていない明快な時刻表。しかしいくらそれを眺めても、わたしは何を見れば良いのか分からなかったのだ。漠然とした意識に追い立てられるように、わたしは必死で時刻表を睨み付けた。だが、そこにわたしの必要とすることが書かれてはいなかった。
 先走る心を押し留め、自分の頭の中を整理してみた。自分は何を知りたいのか?だ。わたしは、父に会いたかったのだ。だから・・・父が入居する介護施設に行かねばならない。つまりその介護施設の最寄の駅を探せばいいのだ。なぜ、そんな簡単なことが分からなかったのか、自分でも不思議だった。40を越えたとはいえ、まだ呆ける歳とも思えない。第一、物忘れの経験など無かった。極度のストレスから、一時的にそうした症状が現れると何かで読んだことがある。リストラと離婚を一度に経験したばかりだ。自分では意識していなくとも、大きなストレスがあるのだろうか。
 再び、時刻表を見た。父の入居する介護施設はたしか、と思ったところで再び思考が停止した。介護施設のある場所が分からなかったのだ。何度か見舞いに来たことがある筈なのに、何故か思い出せない。何故?首を傾げた時、また頭痛が走った。稲妻が脳の中を引き裂いていったように感じた。頭痛は昨日からだ。正確に言うと長野に向かう新幹線に乗って以来だった。やはりストレスかもしれない。一昨日までは平凡なサラリーマンだった。それが職を失い、家族を失って30年ぶりに郷里に帰るのだ。ストレスを感じない筈が無かった。恐らく記憶の問題も原因は一緒だろう。
 しばらく考えてから妻に電話することにした。ロビーから部屋に戻り。ベッドに腰を下ろした。窓から見える光景は一面の雪景色だった。昨夜、駅からここへ来るまでは、あまり気にならなかった。夜中のうちに降り積もったのだろう。今年は東京も、数年ぶりの寒さだから、長野でこれだけ雪が積もるのは当然のことだった。有希は暖かくしているだろうか?ふいに娘のことが気になったが、妻が例の男と付き合うようになって以来、有希の服装のグレードが上がった。ファッションに無頓着なわたしが感じるくらいだから、かなり良いものを買って貰っているに違いない。他の男との間に産まれた子供に、これだけの贅沢をさせてやるのだから、金持ちというのは人間の器も大きいらしい。そこまで考えて、思考を中断させた。これ以上、考えると自己嫌悪に陥るだけだ。わずかな給料も地位も、家族も失った自分とつい比較してしまいそうになったのだ。
 溜息を一つ付くと携帯電話の着信記録を開いた。アドレス帳で見るまでも無い。もはやここ数日、わたしに電話してくる者など妻以外には居なかった。その妻にしてからがわたしとの関係を清算するために電話してきたに過ぎない。クリックすると電子音が流れ、間もなく相手を呼び始めた。5回ほど呼んだ後、繋がった。

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