善光寺下駅長野駅から三つ目だった。地方の鉄道にしては珍しく地下鉄である。大掛かりな都市の再開発を行った際、鉄道敷きに幹線道路を造ったのだ。この為、鉄道は道路の地下を走ることになった。しかし、地下に駅があるのは長野駅から二つ目の権堂駅までだった。電車は、権堂駅からわたしが降りる善光寺下駅に向かう途中で地上に顔を出した。
 善光寺下駅は、善光寺から坂を大きく下り切った住宅街にある。だが他の地方都市と同じように、この街の人々は電車より自動車を使うことが多いらしい。この為、とても小さな駅だった。妻から聞いた病院の番号に電話し、場所を確認したわたしはタクシーを拾った。
 栗木病院は長野市の北部に壁のように立つ飯綱山を背にしている。飯綱山から連なる地附山の中腹にある。急な傾斜地だが、南向きの斜面に立つそこは足元に善光寺を望み、その平を一望できる景勝地といえた。電話で場所を確認するまでも無く、タクシーの運転手に名前を告げるとすぐに了解してくれた。
「ここだがね」
五分ほど走ったところで運転手は、白い建物を指差した。そこには病院の名が書かれた巨大な看板が出ていた。
「見舞いかね?」
運転手は表情を変えずに訊ねてきた。わたしが頷くと
「大変だね」
とまるで同情するような物言いをした。見知らぬタクシードライバーに同情される筋合いも無いが、田舎というのはそういうものなのかもしれない。わたしは「ありがとう」と言ってタクシーを降りた。

 介護施設がどこにあるか分からなかったので、取り敢えず目の前の病院に入った。
 玄関に入るとすぐに受付のカウンターがあった。私が介護施設に入居する父に会いに来た旨を伝えると、受付の若い女性は愛想を振り撒くでもなく介護施設の入居者名簿を確認した。それから淡々と父の名前を確認した。
「えーっともう一度、お願いします」
わたしは父の名前を繰り返した。しかし受付嬢は、名簿を繰り返し捲るだけだった。幾ら待っても返答して来ない。都会の巨大病院ではないのだから、入居者名くらいは憶えてないのか?とわたしは腹立たしく思った。一言言ってやろう、と思った時、受付嬢は名簿に目を落としたまま呟くように言った。
「そういう方の入居はありませんねえ」
わたしは耳を疑った。次に、わたしの知らない間に亡くなったのか?と思った。急に心拍数が上がるのを感じた。それらを口に出してみたが、わたしの動揺を他所に受付嬢は気の無い返事をした。
「過去にもそういう方の入居の記録はございません」
「バカな!わたしは何度も見舞いに来てるんだ!」
「別の病院とお間違えではありませんか?」
「そんなことある筈が無い!ついさっき、父から来た手紙に書いてあったんだ、この病院名が!」
「よく分かりませんが」
「そんな、言い方無いだろう!」
「そう仰られましても、記録が無いのです。パソコンで過去データも調べましたが、やはり御座いません」
「壊れてるんじゃないのか!そのパソコン!」
そう叫んだ瞬間、頭痛が襲った。激痛と呼べるほどの痛みだった。稲妻のような閃光が頭の中を駆け巡った。今までで一番酷い。どんどん酷くなっているようだ。受付嬢が立ち上がり、不安そうにわたしを見ている。彼女がわたしを見るのはこれが初めてだった。
「どうなさいました?大丈夫ですか?」
しかし数秒後、頭痛は治まった。受付嬢がわたしの顔を覗き込んでいた。
「救急室に連絡しましょうか?」
「いや、大丈夫。最近、時々あるんだ。ストレスなんだよ」
「でも早めに診断を受けられた方が良いと思いますよ」
お節介なのか営業なのか受付嬢は先ほどまでとは打って変わってお節介なことを言ってきた。
 わたしは彼女に礼を言うと、受付を後にした。それにしてもおかしい。父がここに入居していないという。わたしはもう一度、手紙の住所を確かめようと思った。携帯電話を取り出し、発信記録を開く。妻の番号が一番上にあった。それを選択し、クリックしようとした途端、携帯が鳴り響き始めた。「03−・・・」会社から電話だった。


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