「お客さん。どうかしましたか?」
タクシーの運転手が不愉快そうに訊ねてきた。自分のことを笑われたと思ったらしい。まったく人間というものはどこまでも自分という狭い世界で生きているものだ。目の前で起きている全ての事柄が自分を中心に回っていると勘違いしている。
 裏を返せば昨日まであれほど重大事と思っていたことも、自分と無関係になった途端にどうでも良いことになってしまう。関口の電話も、関口には申し訳ないが単なる泣き言にしか聞こえなくなっていた。今のわたしにはあの会社で行われてきた悲劇が、どの会社にもよくある凡庸なトラブル程度にしか思えなくなっていた。そういう危機を乗り越えて存続している会社はゴマンとある。そして乗り越えられず消えて行った会社は更に多い。とどのつまり、あの会社はそんな沢山の中の一社になるだけのことだ。そうわたしの頭は考えていた。考えたくは無かったが、そんなわたしの感情は無視して、頭は勝手にそう考えてしまうのだ。
 わたしは苦笑いが込み上げるのを我慢できなかった。またタクシーの運転手に勘違いされ、不快な気分にさせてはいけないと思い、笑いを堪えた。だが、どうしても苦笑いはわたしの隙を付くように漏れ出てしまった。わたしの中に、昨日までのわたしには思いもよらない考えが浮かんだからだ。
「お客さん、善光寺下でいいんだよね?」
案の定、不満そうな運転手の声がした。わたしは運転手を笑っているのでは無いことを、なんとか彼に伝えようと思ったが、良い説明は思い浮かばなかった。それよりわたしは自分の中に浮かび上がってきた、興味深い考えに関心を奪われた。それは、芹田貴明に同情するものだった。

善光寺下から小布施まで何分掛かりますか?」
わたしの問いに運転手は「30分は掛からねえかな」と答えた。タクシーが善光寺下駅に到着したのだ。わたしが駅に入るとちょうどそこへ下りの電車が滑り込んできた。わたしは慌てて切符を買おうとしたが、地方の駅に慣れないわたしは勝手が分からなかった。すると駅員が「早く早く!切符なんて買わねくていいから!降りた駅で金払ってくんない」と急かすので、その言葉に甘えて切符も買わずホームへ駆け下りた。既に他の乗客は乗り込み終わっていた。
「乗らねえの?」
車掌がわたしに訊いてきた。わたしは答えの代わりに、慌てて乗り込んだ。それを見てドアが閉まり、電車が鈍い音を立てて動き出した。
 二つしかない車両は、ひどく空いていた。わたしを含め五人ほどしか乗っていない。隣の車両も同じくらいだった。わたしは大きく空いた座席に悠々と座った。窓の外を眺めたが、地方都市特有の低層住宅が連なるばかりだった。興味を無くしたわたしは、タクシーでしたのを同じように目を瞑った。再び、芹田のことが頭に浮かんだ。

 正確には同情する、というものではなかった。芹田貴明の気持ちが分かる、というものだ。
 わたしは数ヶ月前、再建の起死回生の手段として合併を提案した。合併先は、東京の同業社だ。友人の銀行員からの紹介だったのだ。当然、先方の方が規模が大きいから、こちらは吸収される側になる。しかし貴明が到底、経営者の器ではないことと、地方という市場では不況が来なくともいずれ行き詰まっていたことを考え合わせるとベストとは行かないまでもベターな選択だと考えた。また、一から新しい市場を作る余裕など到底無かったから、他に選択肢が見付からなかったとも言える。ただ社業は継続できるし、社員もほぼ全員、雇用を続けて貰える見込みだった。
 しかしこの提案を貴明は、全面的に否定した。それでもわたしは必死で説明した。だが貴明は頑として聞き入れなかった。挙句の果てにわたしに辞めろと言った。
「会社を駄目にしたいような奴は出て行ってくれ!」
と貴明は言った。結果、わたしは退社を決意した。貴明の考えが理解出来なかったのだ。
 だが、何故理解出来なかったのか今にして思えば不思議なことだ。貴明にしてみれば、自分が社長で留まれないような会社は無いも同じじゃないか。わたしは社員が全員、雇用を継続されることばかりを考えていた。それが正しいことだと思ったのだ。だが、そのために貴明の気持ちを踏みにじったのかもしれない。
「最後くらい、俺の好きにさせてくれよ!」
貴明が叫んだ言葉が思い出された。聞いた時は、戯言くらいにしか聞こえなかったが、彼にとってはそれが本音だったに違いない。つまり貴明も、今のままでは会社は駄目になることは知っている。ただ、彼には他の道を選択する余地が無いのだ。




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