こんなことを考えているなんて、あの会社のみんなに知れたら大変なことになるな。裏切り者の誹(そし)りを受けるだけでは済まないかもしれない。しかし、自分でも驚くほど早く会社と無関係な人間になっていた。
 未練がましく会社のことを考えていること自体に嫌気がさして来た。もっとも、関口からの電話が発端なのだ。そう自分に言い聞かせていた。まるでそれじゃ関口が悪いみたいじゃないか?と思うと複雑な気持ちになった。こうして忘れていくのか、そう思った。こうしてどんどん無関心になっていって、いつか忘れてしまう。柴崎専務や関口、そして貴明がいたことは忘れないだろう。でも、何があって、どんな感情を持ったか。そういうことは全て忘れ去るに違いない。そうやって過去と決別しなければいけないんだ。わたしだって、これから先も生きて行かなければならないのだから。
 思えば、そうやって何度も過去と決別してきた気がしてきた。そうやって忘れ去ってきたのだ。どんなことを忘れてきたのか?思い出そうとしてみたが思い出せない。ただ今、わたしが生きているのは、きっと大切なそれらを忘れ去ってきたからなのだ。
 わたしは病院を振り返ってみた。思えば、父のことも母のことも随分と長く思い出したことが無かった気がする。
『北原さんって、実家に帰られたことあったんですね』
ふいに関口の言葉が思い出された。
 良く考えてみると、本当にわたしは父を見舞いに来たことがあったのだろうか?父が入院する介護施設に何度か見舞いに来たような気がしていたが、では、父はどんな病室に居たか?どんなパジャマを着て、どんな髪型で、何を食べて、何を読んで、何を話していたか?わたしは何一つ思い出せなかった。
 そういえば母はどうしたっけ?義母の顔が頭に浮かんでわたしはホッとした。義母の顔は忘れていなかった。しかし、あれほど恋焦がれた義母の顔を思い出したのは、いったい何十年ぶりだろう?
 どうやら人間は、目の前で必要なことしか思い出さない生き物らしい。目の前で必要の無いことは、例えどんな記憶であっても忘れてしまう。人間とは本来、そういうもので、だからこそ生きていけるのかもしれない。だから今、僕が直面している問題も、いずれ時とともに忘れ去るんだろう。会社を追放された屈辱も、家族に捨てられた辛さも。そして家族の顔さえも思い出さなくなるのかもしれない。その証拠に僕は義母との辛い別れを忘れていた。それは何十年も思い出さなかったのだ。

「おぶせー、おぶせー、どちら様もお忘れ物なさらぬようお気を付け下さい。次はおぶせー・・・・」
車掌の声にわたしは目を開いた。

 もし、ここへ来なかったなら、義母のことも思い出さなかったに違いない。父と義母と暮らしたこの街に戻ってこなければ。そしてわたしは、自分のことを”僕”と呼んでいることに気付いた。そう呼ぶのはたしか二度目だ。一度目はたしか新幹線の中だったか。もはや僕は東京で暮らした”わたし”ではなく、ここで暮らしていた僕に戻ってしまったのかもしれない。だから会社のことを忘れ始めているように、家族のことも忘れ始めるのかもしれない。妻のことも、有希のことも・・・だろうか?本当に有希のことも忘れてしまうのだろうか?
 そう思った瞬間、僕は再び頭痛に襲われた。これまでのものとは比較にならない痛みが襲ってきた。どんどん酷くなっている気がした。耐え難いほどの痛みに、僕はその場に座り込んだ。僕は駅のホームのベンチに座り込んでいた。
「有希、有希・・・」
僕は苦痛に震えながら何度も娘の名を呼んだ気がする。



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