荷物を片付けながら『つまり早く出て行けということか』と僕は理解した。
 医師の説明は看護婦のそれとさして変わりは無かった。ただの過労だそうだ。もっとも僕は頭痛のことは一言も話して無かった。だから、それを話せば医師の判断も違ったものになっていたかもしれない。その方が正しい判断を導き出せたろう。それでも僕は話す気にはなれなかった。こんなところで足止めされるのが嫌だったのだ。
 支払いを済ませて病院を出ると夕闇が迫っていた。山国の冬は昼間が短いのだ。僕は早く行かなければと思った。「早く」と。その行き先は勿論、僕の生家だった。この病院からそう遠くない。
 夕闇は降り注ぐように辺りに満ちていった。東京ではこんな感覚に襲われたことが無かったが、それは街が持つ光のせいだろう。その光のせいで僕らは街が闇に包まれる瞬間に気付きはしない。そして気付いた時、空は真っ暗だが街は日中と遜色ない光に満ちている。しかしその陰で、やはり闇は広がっていて、自分の身に降り掛かってきた時には抗いようが無いのだ。そんなセンチメンタルな思考の先にあるのは失った家族と、会社という居場所だった。
 娘の有希は元気にしているだろうか?今日の朝、電話で声を聞いたばかりだと言うのに、心の中が有希のことでいっぱいになった。恋しいとはこういうことを指すのだろう、と思った。しかしすぐさま僕はその気持ちを振り払った。僕が恋しいと思うのは有希の為を思ってのことではなく、僕自身の寂しさから来たものなのだ。妻と有希を失った喪失感に僕が耐えられないだけだった。妻から聞いている限りは――実際、僕は妻の恋人という男に会ったことは無かったのだ――彼は妻だけでなく有希も幸せにしてくれるだろう。
『少なくとも僕よりは』
いつの間にか僕は、自分を「僕」と読んでいる自分に気付いた。郷里に戻り、少年の頃の口癖が戻ったのだろう。照れ臭くもあったが、しばらくこのまま少年時代に自分に浸ってみるのも悪くない気がした。
 そう考えているうち、辺りは夜の帳が降り始めた。再び僕の中の何かが『早く』と僕を促した。たしかに早くしないと辺りが真っ暗になってしまう。だが、それだけではないらしい。僕の中の何かが急かす理由はもっと別にある気がした。
『もっとも・・・』
とわたしは思った。全てを失ったわたしは、早く自分の居場所を見付けたかったのだ。
 病院から北に出て背の高い葦の藪があった。子供にとっては林と呼んだ方が良いくらい背が高かった。その葦の林に分け入って進んで行くとクレーのテニスコートがある。一面だけだが、本格的なコートであることは子供でも分かった。昭和の初期に作られたままのそれは、ネットを貼るポールは木製だ。何度か木が劣化したらしい。その都度補修したのだろう、幾つも鉄板を張ってあった。
 こんな田舎町でテニスなんて誰がやるのだろう?と、いつも思った。だが誰かに理由を訊かされ納得した気がする。キリスト教系の宗教団体が経営する病院には、かつてカナダから来ていた牧師らが病院の医師や看護婦にテニスを教えたという。
 もっとも、わたしたちはここにくるといつも鬼ごっこをしていた。由紀はテニスの真似事をしたかったらしいが、わたしたちにはボールもラケットも無かったからそれは叶わなかった。
 テニスコートを横切るとまた葦の藪が壁のように立ちはだかる。そこへ分け入り、どれくらい歩けば良かったか?まるで別の世界に到達するまで歩いたような気がした頃、葦の向こうに粗末な長屋が見えてきた。私たちが暮らしていた家の裏側へ出るのだ。わたしたちは子供が跳び越えるには少し幅広の川を跳び、わたしたちの住む家に帰ったのだ。


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