「さあさあ、上手く揚がったで」
今時珍しい卓袱台の上に置かれた皿の上には、コロッケがこれでもかというくらいに乗っていた。
「腹いっぱい喰っとくれ」
先ほど病院で遅い昼食を食べたばかりだった。第一、コロッケの量は若者が食べるほどのものだ。
「病院でトーストをもらったばかりなんだ」
「何言ってんだい。これっぱかしペロって喰っちまったじゃねえかい」
老婆の中ではいつまで経ってもわたしは少年らしい。
「さ、これもな」
盆から飯と味噌汁、そして漬物を置いた。
「テレビでも点けるか」
そう言って角の婆さんはテレビのスイッチを入れた。綺麗に拭かれたテレビにはリモコンは無いらしい。恐らく十数年も前に買ったものを後生大事に使っているのだ。点いた画面は色褪せて見えた。
「そろそろ買い換えた方がいいんじゃないかな?」
「なんで?まだ見れる」
「うーん、でも再来年からデジタル放送というのが始まって、するとこういう古いテレビは観れなくなるんだ」
婆さんは返事もせず、頷きもせず黙ってテレビを眺めていた。それから
「死ぬるからいい」
と小さく言った。あまりに早口だったので、わたしはその声を聞き逃した。「え?」っと聞き直すと
「死ねっちゅうこっちゃ。用済みの者はな。いい、いい。もう十分生きたから。生き過ぎたわい」
ぶつぶつと独り言のように呟いた。婆さんはずっと一人身だった、と記憶している。当然のことながら子供は無かった。親はとっくに没しているだろうし、兄弟姉妹も、あったとしても既に亡くなっているか、縁遠くなって行き来など無いだろう。思えば孤独な人生だ。
「早く喰え!」
婆さんに促され、わたしは箸を取った。自然と笑いが込み上げてきた。もちろん自嘲だ。
 この老婆を哀れむ筋合いではない。会社から追い出され、妻と娘に捨てられた我が身は目の前の老婆と変わらない。あるいはこの老婆もわたしの知らぬところで誰かと繋がりがあるかもしれない。であれば孤独なのはわたしだけなのだ。
 大盛りの飯の上に揚げたてのコロッケを一つ載せた。記憶が蘇った。少年の頃、暖かい飯の湯気で蒸されるコロッケの匂いに胸を躍らせたものだ。
「ソース、ほれ!」
婆さんから渡されたのは懐かしいウスターソースだった。あの頃、大好きなコロッケだったが一つしか食べられなかった。そのために飯の上にコロッケを置くとウスターソースを飯に沁みるほどたっぷり掛けて食べたものだ。わたしは軽く掛けると飯と、コロッケを一緒に口の中に頬張った。あの頃は必ずそうして食べた。潰した芋と中に含まれたひき肉の味、揚がった衣の香ばしさがウスターソースで際立ち、飯がその味を包み込むのだ。
「懐かしかろう。お前の母ちゃんもな、コロッケ揚げるの上手かった」
それには叶わんがわしのもなかなかのもんだろ、という老婆の声を聞きながら母を思った。そういえば母はどうしてるのだろう?両親が離婚して以来、母とは会っていなかった。勿論、由紀ともだ。
「ところで今日は、何しに来たんだ?」
「あ?ああ、まあちょっと。たまには生まれ故郷を見たいと思ってさ」
「そうか。そういえばどこに住んどるんだったか?」
「杉並・・東京だよ」
「ああ、ずっと東京にいたんだなあ。仕事は何しとる?サラリーマンか?」
「あ、うん、そうだね。ただ、一昨日辞めたんだ」
「辞めた?なんで?」
「うん、このご時世だろう。会社も大変なんだよ。だからさ、やり直せるうちに辞めちゃおうと思って」
「それってリストラって奴か?」
違う、と言いかけてわたしは口をつぐんだ。違うと思う方が間違っているのであり、婆さんの言うことが真実なのだ。たしかに形の上では依願退職だったが、社長から不要の烙印を押された。リストラと言うのが正しい。
「あー、湿っぽい話はやめだ!そうだ、酒があった。しばらく飲まんかったから忘れとった」
そう言って婆さんは立ち上がった。「医者からな、酒は控えろって言われて、飲まなくしとったらすっかり縁遠くなっとった」と独り言のようにいいながら、台所を探り始めた。ほどなく一升瓶を見付けたらしく「冷でいいな」と声を掛けてきた時は、もう湯呑みも持って来ていた。
「さあさ」
と注がれ、一口口に含むと、婆さんの湯飲みに注ぎ返した。久しぶりの酒に婆さんは顔を蒸気させていた。
「婆さん飲み過ぎんなよ。医者から止められてるんだろ?」
「なんの、控えろというだけよ。それに、そのデジタルなんとかで、テレビが観れんくなる前に死にゃいいんじゃ。こんなババア、テレビくらいしか楽しみがないからのお」
婆さんは思い切り良くグイと呑み込み、噎せた。
「言わんこっちゃ無い」
とわたしは婆さんの背中を軽く叩いた。とんとん、と叩いたそこは驚くほど肉が無く、どれほど軽く叩いてもほろほろと骨が崩れ落ちそうな感覚に襲われた。そして婆さんの噎せた咳はしばらく収まらなかった。
「大丈夫か?婆さん」
「へ、大袈裟な。久しぶりだったもんで肺の方に入っちまったんだよ」
「何十年ぶりかで会った途端にあの世へ行かれたんじゃかなわないよ」
「いつの間にそんな減らず口が叩けるようになったんだろうね。いっつも泣いてた子が」
婆さんは悪態を突きながら再び湯飲みを口に付けた。今度は噎せずに飲み込めたらしい。
「ふう。甘いだろ。わしは甘口が好きなんだよ。口に合わんか?」
「いや、それほど酒は強い方じゃないんだ。だからこれくらいの方が飲みやすいよ」
そりゃあ良かった、と言いながらまた婆さんは立ち上がろうとした。「えっと、たしか乾物入れてる缶の中にスルメが・・・」と言っていた。
「婆さん、もういいよ。ほら、こんなにコロッケがある。これを肴にしよう」
「ん?だが塩っ気が足りねくねえか?」
「ほら、こうしてソースを多めに掛ければ十分塩っ辛い」
わたしの言葉に婆さんは「ああ、そうかい」と素直に従うと、どすんっと音を立てて座り込んだ。もう酔っているらしい。少し呂律も回らなくなってきた。


 婆さんが泣き上戸だったとは、初めて知った。もっともわたしがここに住んでいたのは小学生の頃だから隣家の者の酒癖まで憶えてはいない。酒が入るにつれ口が滑らかになり、涙腺も緩み、自身の口から出た言葉に身を震わせた。
 酔っ払いの話ほど、聞く側に迷惑なものはない。婆さんは自分の身の上にどれだけ不運が重なったのかということを、延々と繰り返した。もっとも婆さんが、若い頃に一度結婚していたということには、驚かされたが。
「へえ、なんで別れちゃったんだい?」
「死んじまったんだ。しゃああんめい」
わたしは、なぜ死んだか?とは訊かなかった。婆さんは訊いて欲しそうだったが、これ以上、同じ話題で堂々巡りをすることに飽きたのと、わたしが訊きたい話題に切り替えたかったのだ。しかし婆さんはわたしの思惑通りには話を進めてくれなかった。話は第二次大戦後の動乱期から始まり、亡くなったご主人との出会いから、荒廃した農地で悪戦苦闘したこと。やがて生活が上向き始めた頃、ご主人が他所に女を作ったこと。婆さんには子供が出来なかったこと。ご主人が家に寄り付かなくなってしばらくの後、入院したとの噂を聞いたこと。病院へ駆けつけて見ると既に手遅れだったこと。
 酒とタバコ、不規則な生活などが災いしたらしい。癌だったという。若かった分、末期に至るのも早かったらしい。
「女房そっちのけで女にうつつをぬかしたバチが当たったってもんよ。けどなあ、一番酷えバチが当たったのはわしじゃねえかあ?それからずっと一人っきしで、何十年も暮らし来たんだで」
婆さんは泣きながら湯飲みを口に当てた。
「それにしても、なんで神さんはこんな歳まで生かすんだかな」
「なんでって、そのお陰で今生きてるんだから、いいんじゃないのか?」
「何がいいんだ?何のために生きてるんだ?家族もいない。相手にしてくれる者も誰もいない。このまま死んでも、きっと誰も気付かねえわ」
たしかに、かつて満員だった長屋は、既にこの一棟を除き撤去されている。この一棟にしても、婆さん以外住んでいないのだ。逆に言えばこの棟は婆さんが生きているから撤去できないということだろう。
「ま、町役場の者たちも、わしが死ぬのを今か今かと待ち草臥れてるだろうて。この棟を壊して分譲団地として住宅会社に売り払う予定らしい。だが、早くしねえとこれ以上景気が悪くなったら会社も買ってくれねくなっちまうんだ、なんて行って来たわ」
「え?誰が?」
「役場の職員だ」
「そりゃ酷え話だな。まるで死ねって言ってるようなもんじゃないか」
「ああ、昔からヤクザみてえな野郎でさ・・・あ?いや、そういうつもりじゃあな、ねえんだ」
途中から婆さんの口振りが変わったことが気になった。そのことを聞こうとしたが、その前に婆さんが訊ねてきた。
「ところで何回忌だ?」
「え?何?」
「何って、だから何回忌になるんだ?」
わたしには婆さんの言っている意味がまるで分からなかったのだ。なぜ分からなかったのか、後になって考えてみるとわたしは長い間どうかしていたのだ。
「玄徳寺でやったんか?」
「ごめん、なんのことかさっぱり分からないんだ」
婆さんはわたしの言う意味がまるで分からなかった。
「その、何回忌、って何だい?」
わたしの問いに婆さんは目を丸くした。それからわたしの顔を覗き込み「おぬし、間違いなくたくみだの?」と確認した。
「なんじゃ、父ちゃんの年忌法要をやりに帰って来たんじゃなかったのか?」
えーっと、三十三回忌じゃなかったかのお、と婆さんは指を数えて見せた。
「婆さん、何を言ってるんだ?親父は長野の施設に入院してるだろ?」
わたしの言葉がよく聞き取れなかったのか、婆さんは首を傾げたまま何かを考えるように黙り込んだ。何か独り言のようにぶつぶつ言いながら何度も湯呑みに口を当てた。
 酒が回ったのか婆さんは、真っ赤な顔のまま目を瞑り、時折前後に身体を揺らした。座ったまま眠ってしまったらしい。わたしは押入れを開けた。中から毛布を取り出し婆さんの背中に掛けようと思ったのだ。襖に手を掛けると、色褪せた襖紙の模様に見覚えがあった。
 まだ小学校も低学年の頃、たまに婆さんが「菓子があるから来い」と手招きした。由紀と二人で行くと、婆さんは羊羹やらカステラやら、多分もらい物らしい菓子とお茶を出してくれた。そのまま二人で夕刻までこの家で遊んだ。遊ぶ道具が無いから、襖を開けた。二段になった上の段から布団を降ろした。クッションにするためだ。それから上の段に登ると、布団の上に飛び降りた。逆さに落ちたり、尻から落ちたり、そんなことが楽しかった。自分達の家では、布団で遊ぶと叱られたから余計に楽しかった。婆さんはそんな風にして僕らが遊んでいても怒るどころか楽しげに見ていた。
 あの頃と襖の模様が変わらない。30余年、襖は張り替えていないらしい。開けると、上の段に薄く硬い布団が畳まれていた。驚くほど狭かった。こんな小さな押入れに由紀と二人で登っていた。飛び降りるのには初め、勇気が要ったのだ。もっとも僕の身体も今よりずっと小さかったから。
 畳まれた布団の上に、一色で模様が描かれた毛布が乗っていた。硬いそれは一枚の厚い布のようだった。これも30余年前、ここにあった。僕はそれを手に取り、婆さんの背中に掛けた。その拍子に老婆が目を覚ました。
「たくみ、許してやれや」
寝惚けているのだろうか?と僕は首を傾げた。しかし老婆は、酒で染まった赤い目を僕に向けた。そこには明確な意思が感じられた。寝惚けた人間の目ではなかった。
「父ちゃんも、母ちゃんもみんな許してやれ」
「?」
理解の外にある言葉にわたしはどう反応して良いのか戸惑った。
「由紀は可愛そうなことをした。だが迎えに来たのだろ?それでええ。血は繋がらずともたった一人の兄妹だからの」
婆さんは両腕を卓袱台の上で組み、そこへ顔を突っ伏した。再び眠りに付いたらしい。
 わたしは途方に暮れた。時計を見るとそろそろ早い最終電車の出る時間だ。田舎の私鉄は東京に比べ、最終が驚くほど早いのだ。駅まで歩けば、ちょうど間に合う時間だ。しかし・・・。婆さんに、訊ねてみたい気持ちがわたしの足を止めた。
 「許せ」とは、どう意味なのだ?口ぶりから推察するに「わたしが」誰かを「許す」らしい。誰を?「父ちゃんと母ちゃん」と言っていた。しかしその後に「みんな」とも。わたしが父と母、そしてみんなを許すとはどういう意味だ?そして婆さんは「父の法要をやりに帰って来たのか?」とも言った。法要?父は生きている。長野市の施設に入院していて、今も定期的にわたしに手紙を送って来るじゃないか。それに応えてわたしも毎年、父の見舞いに長野市へ・・・・長野市へ?長野?長野県に入るのは何十年ぶりだ。僕は高校を卒業し、大学へ行くとそのまま東京で就職した。以来、長野へは・・・いや、高校ってどこだ?高校?高校は戸山じゃなかったか?大久保から高田馬場に向かう途中。中学も、戸山第二?先月同窓会から手紙が来ていた。名簿の更新の為の確認だ。ではいったい?ここはわたしの故郷なのか?
 間違いない。あの校舎、玄関。背の高い靴箱が図書館の本棚のように立ち並び、その間からいつも由紀が僕を見張っていた。僕が逃げ帰らないように。由紀は毎日のように僕を連れまわすのが趣味だったんだ。ほら、僕が友達と玄関に向かい廊下を歩いて行くと、あの靴箱の陰から由紀が見ている・・・いや?あれは男の子だ。誰だ?あの薄汚れたTシャツ。着古した半ズボン。あれは僕だ。
 靴箱の陰で僕は何をしてる?廊下を歩いてくる声が聞こえてきた。3〜4人の声だ。高い声?女の子たち?淳司、健太、真人じゃないのか?その中で一人無口な女の子がいる。由紀?由紀じゃないか?なぜ由紀が廊下を歩いてくる。
 少年の僕は靴箱の陰から由紀を見詰めていた。由紀は、たしかに僕に気付いていた。でも気付かないふりをして、友達と一緒に帰ろうとしている。でも僕は由紀を逃すことは無い。由紀は小学校の校門を出るまでは友達と一緒だが、友達はみな塾があるのだ。
 見たこともない記憶が脳裏に蘇った。今まで、考えたことも無い様々な疑問が湧き上がった。辻褄が合わない記憶。これまで考えもしなかった幾つもの辻褄が、まるでほぐれた糸のように僕の脳内でのた打ち回った。
 またあの頭痛が襲ってきた。案の定、これまでで一番酷い。どんどん悪くなっている。しかし病院の検査では原因は不明だという。どうなっているんだ?僕は遠のく意識の中で、由紀の苦痛に歪む顔を見た。



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