妻にすっかり荷造りしてもらい十数年暮らしたマンションを出た。手には小さなボストンバッグ一つ抱えているだけだ。その気楽な姿は、離婚などという深刻な事態を連想させないようだった。通路で擦れ違った顔見知りの老婦人から「あら!どこかにご出張?」などと問われたくらいだ。そんな軽装で街に出た私だったが、実のところ行く宛ても無く今夜の住まいも特に決まっていなかった。だから残りの荷物は、取り敢えず会社宛てに送って貰った。リストラで社員が減っているから、私の少ない荷物くらい置くスペースはある筈だ。
 何週間か前に妻から離婚を切り出され、それから度々次の住まいを契約するよう催促されたのだが、私は探さなかった。痺れを切らした妻が「四週間後の土曜日に出て行って頂戴」と期限を切ってきた。それでも私は部屋探しなどしなかった。妻に未練があった訳では無い。ただ億劫だったのだ。何もかもが億劫だった。出来ればついでにあの苦痛の塊のような会社も辞めてやろうと思った。しかし辞表を出すのも億劫だったので、出さずに昨日まで普通に勤めた。しかしもう月曜日から行く気は無い。と言って行く宛ても無い。このまま煙のように消えてしまえたらどんなに楽だろう、などと考えたりした。
 ふと、このまま浮浪者になるのか?などと考えてみたのは戯れに田原町で地下鉄を降り、浅草方面に出た時だった。いつの間にか辺りが闇に包まれていた。人通りも減った歩道に、何人かのホームレスが地べたに布団を引き、ぬくぬくと寝ていたのを見た時だ。彼らもこうなる前は、自分とそう変わらぬ人生があったに違い無い。なにかほんの小さなきっかけでこんな生活を送っているのだ。
 しかし私にはその勇気は無いなあ、などと思った。それが勇気というのかは知らないが、普通でない生活――この場合、何が普通かという定義を問われても私は答える言葉を持たないが、そんな生活に入る勇気は無かった。が、逆にこれまでの生活に戻ることともまた許されなかった。

 気付くと私は再び銀座線に乗っていた。そして「上野」の声を聞くと咄嗟に降りた。突然、故郷に帰ってみようと思ったのだ。
 故郷に帰る新幹線は、東京駅が始発だ。しかしずっと以前、私が故郷から乗ってきた列車は上野駅が終点だったのだ。以来、故郷に帰ったことの無い私は、無意識に来た時の逆をなぞるように上野で乗ろうと思ったのかもしれない。
 夜の遅い時間に発する新幹線は空いていた。かつて四時間掛かっていた路線が、今は一時間半で帰ることが出来るのだった。だから私は居眠りなどする時間は無いと思い、新聞を買い求めたのだが、気付くとうたた寝をしていた。途端に遠い昔、心の奥底に仕舞い込んだ少年の日の記憶が夢になって現れた。

◇マサ兄◇
 あの日からあっという間に一週間が過ぎた。あの日といっても特別な日ではない。ただ僕にちょっと変なことが重なっただけの日だ。その変なことを一つ上げろと言われたら何だろう?天狗か、いや髭おじと知り合いになったこと、それよりちんぼだろうな。ちんぼが大きくなったことだ。
 なにしろあの日以来、毎朝ちんぼが大きくなった。鉄の棒みたいにかちかちになって、痛いのだ。僕は毎朝、それを母に気付かれまいと四苦八苦したのだ。
「たくちゃん。学校遅れるよ」
いつまでも布団の中に居る僕を心配して、たびたび母が声を掛けてきた。僕は口ではそれに答えるものの、それは一向に言うことを聞いてくれなかった。
「もう、たくみ!早く起きろ!」
二日目には由紀が怒りながら入ってきて僕から布団を剥ぎ取ろうとした。僕は「やめてぇ!」なんて女の子みたいな情けない声を出して必死で布団にしがみ付いていた。
でも三日目には母も由紀も何も言って来なかった。まるで休日ででもあるかのように、静かだった。時計を見るともう学校に行く時間が後30分に迫っていた。でもちんぼは日に日に大きくなっているようで、今起きて出て行ったら母と由紀を驚かせてしまうに違いなかった。手でちょっと触れてみたがちんぼの中は血が充満していた。はちきれそうで痛かった。手で押さえてみた。せめてパンツやズボンを押し上げないように、と思ったが押さえ付けるほどに力強くなってしまった。同時になんだか腰の辺りに力が入らないような変な感じになった。なんとなく、どこかに擦り付けたい気分になった。
 それで僕がうつ伏せになって「うんうん」唸っていると、突然布団が重くなった。誰かが布団の上に乗ってきたのだ。重かった、だが大人の重さじゃない。首を捻って見ると案の定、由紀だった。由紀は僕に分からないようゆっくり襖を開けて入ってきたらしい。突然上に乗って僕を驚かそうとしたのだ。十分に驚いた僕の顔を見て満足気に笑っていた。
「お腹痛いの?」
由紀は布団ごと僕を抱き締めているから僕は逃れることが出来なかった。
「大丈夫、苦しそうだよ?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「そう?苦しそうだよ?ちょっと見せてご覧」
「いいよ」
「見せてご覧、って」
「いいったら」
由紀が無理やり布団を捲くろうとした。僕は「やめてえ!」と叫んで抵抗したが、何ごとにも僕より一枚上手の由紀は軽々と布団を剥いでしまった。薄いパジャマだけの僕は由紀に見られまいと小さく丸まった。
「ちょっと見せなきゃ分からないでしょ」
「いいよ」
「良くないよ。悪かったらお医者に行かなきゃ」
「そんなんじゃないよ」
「分からないじゃない」
「だからイイって」
でも由紀は許してくれなかった。丸まってる僕の脚の間にお尻の方から手を突っ込んできた。僕はくすぐったさで丸めた身体を仰け反らせてしまった。その瞬間、由紀に掴まれたのだ。
「わあ、何これ?犬の尻尾みたい」
「やめて、離して!」
僕の懇願を他所に由紀は握ったり離したりを繰り返した。
「だめ!やめて!」
女の子みたいな情けない声を出してしまった僕を無視して、由紀は「痛いの?」と訊ねながら繰り返した。そう言われて僕は答える言葉が見付からなかった。痛い訳ではない、むしろ腰が抜けそうなおかしな感覚だった。僕は由紀の質問に答える為に、どんな感じなのかを確かめようとした。でもそれがいけなかった。ちんぼから身体全体に変な感覚が広まった。僕が「なんだこれ!?」と思うや否や、ちんぼが破裂するのを感じた。「大変なことになった」と思った時には遅かった。破裂した僕のちんぼは、中に入っていたおしっこを撒き散らした。
 しかしそれはおしっこではなかった。僕のパジャマのズボンはグッショリ、というよりベッタリになっていた。
「ねえ!なにこれ?」
由紀も驚いたらしい。「母ちゃん!」と母を呼びに行ってしまった。全身の力が抜け、ぐったりと倒れこんだ僕は、由紀を引き止める力も残っていなかった。
 僕は母だけにはこんな無様な姿を見られたくないと思ったが、既に遅かった。すぐに母がやってきた。母は興奮する由紀に「はいはい」と言いながら、手際良く僕のパジャマのズボンを脱がせ、持ってきたタオルで濡れた下半身を拭き始めた。温かかったので見ると、タオルをお湯で絞ってきてくれたらしい。僕は初めて味わう妙な満足感とともに、母に温かい蒸しタオルで下半身の汚れを拭ってもらう気持ちよさにうっとりしてしまった。なんだか眠くなった。目を閉じちゃいけないと思いつつ、瞼が閉じていった。母の隣に座った由紀が僕の顔を珍しそうに覗き込んでいた。フッと意識が無くなった途端、頬を平手で叩かれた。由紀だった。
「なんで寝ちゃうんだよ!学校行く時間だぞ」
その日は由紀のお陰で一日ボーっとして過ごしてしまった。
 僕にとって、生涯で一番恥ずかしい思い出の日になったのだが、それ以外は何も無い穏やかな日々が続いた。なぜか由紀も僕を連れまわすことはなかった。だから僕は毎日、真一や健太と淳司の家に行き、彼らが塾の時間になるまでゲームをやった。
 問題があったとすれば一つ。マサ兄が約束を破ったのだ。
 
「今度の土曜日、釣りに行こうか」
あの日、そうマサ兄は約束した。それを知ってるのは僕と由紀だけじゃない。髭おじだって一緒にいたんだ。ところが土曜日の朝、突然都合が悪くなったと電話で言ってきた。マサ兄が約束を破るなんて初めてのことだった。
「ちぇ!マサ兄の嘘吐き」
僕はそう呟いて川に石を投げた。下手投げで放った石は何度か水面を跳ねてから流れの中に消えた。
「三回ぽっちか。よーし今度は五回」
僕は先ほどよりもっと平らな石を探した。三歩ほど助走を伸ばして力任せに投げた。でも力が入り過ぎたらしい。石は一度も跳ねずドボンッと鈍い音を立てて姿を消した。僕は溜息を付き、再び小石を探した。
「もうやめなよ」
由紀が叱るような口調で僕に叫んだ。振り返ると由紀は指を噛んでいた。最近、僕は指を噛む由紀を何度か見た。以前はそんな癖は無かった筈だった。
「なんでやめなきゃいけないんだよう?」
「川が汚れるでしょ」
「なんで?石だよ。もともと川の中にあったんじゃん」
僕の反論の方が正しかった。だから由紀はそれ以上、言い返せなかった。後になって気付いたのが、そんなことは初めてだった。僕らは、いつも由紀が正しくて、由紀の方が優秀で、由紀が中心だった筈だった。そんな由紀が僕の反論に何も言い返せず指を噛んでいた。
 ふと由紀の気配が消えた気がした。振り返ると由紀は土手の方に向かって歩いていた。マサ兄と一緒に来る筈の川へ僕らは二人で来たのだ。幾ら待ってもマサ兄が来ないのは分かっていたけど。来る筈の無いマサ兄を僕らはなんで待っていたのだろう?そうやって僕らは叶う筈の無いものを望んで、諦めることを学んでいたのかもしれない。
 僕は由紀の姿を見失った。土手に向かって河川敷を歩いていた由紀の姿が急に見えなくなったのだ。しかし、河川敷のところどころを覆う藪の中に由紀の姿が隠されただけだった。再びその姿を見付けた僕は由紀に向かって走り出した。振り返った由紀は僕に向かって手を振った。僕にはそれがどんな意味を持っているのか全く分からなかったんだ。

 それからも、マサ兄の異変は続いた。
 月曜日、学校からの帰り道に、由紀と僕は軽トラを運転するマサ兄を見かけた。マサ兄は僕らのすぐ目の前で赤信号に止まったのだった。僕らは、マサ兄の目の前の横断歩道を渡りながら手を振った。はしゃいでジャンプしたりもした。しかしマサ兄は僕らにまるで気付かなかった。いつも温和な笑顔を浮かべているマサ兄が、強張った顔付で正面を見据えていた。
 由紀と僕は顔を見合わせた。僕らはマサ兄に何か特別な異変が起きているに違いないと思った。信号が青に変わるやマサ兄は物凄いスピードで軽トラを走らせて去って行った。
「もしかしてマサ兄ふられたのかな?」
マサ兄の彼女は市役所のマドンナと言われている美穂という女性だった。窓口に座っているから、市役所を覗くといつも顔が見える。子供から見ても格好いいお姉さんだった。背が高くていつも髪を綺麗に縛り上げていた。化粧はあまり濃く無いが、顔立ちが十分過ぎるくらい華やかだった。
「美穂さんにふられればショックだよな」
由紀が頷いた。珍しく由紀が反論しないことにいい気になった僕は、こうも言った。
「でもそうなれば、母ちゃんと結婚できるかもよ」
「バカね、たくみは。わたしたちにはお父さんがいるでしょ?」
「え?父ちゃん。ヤダ、おれあんな父ちゃん。怖いし、全然面白くないんだもん」
由紀は指を噛みながら道路の先を見詰めていた。それはマサ兄の乗った軽トラが走り去った方向だった。

 そんな風に僕らがマサ兄のことを気にしているうちに、いよいよ約束の日が来た。
「約束の日?」
僕は由紀に向って首を傾げた。
「何の約束の日だっけ?」
「バカねえ。髭おじと約束したじゃない」
「髭おじ?そういえばあれ以来、全然会わないね?どこかへ行っちゃったのかな?」
「いるわよ。昨日だって夜遅くに帰ってきたわ」
「夜遅くって?」
「十一時くらいかな?」
「え?なんで知ってるの?」
「だって音がするもの。気になって起きちゃうわ」
「おれなんて全然気付かなかったよ」
由紀は、あんたはバカだからそれでいいのよ、などと嫌われ口を叩いてから、僕に行くか行かないかを確認したのだ。僕はあまり興味が無かったから。だからとても面倒臭く思えた。できれば行きたくと思っていたのだ。由紀はそんな僕の心中を敏感に感じ取っていた。
「だって約束したでしょ!一緒に行くって」
由紀は僕を睨み付けた。僕は由紀の目を見ずに答えた。
「したけど。なんかつまんなそうじゃん」
「そうかしら?」
「だって、ただ鳥居へ行くだけだぜ」
「でも願いが叶うのよ」
「ばっかばかしい!」
僕は空に向って吐き出すように言った。
「どうせまた髭おじの嘘だよ」
「嘘じゃないわ。髭おじは嘘付くような人じゃないもの」
「ま、嘘は言い過ぎだけど、出鱈目だ」
「そんなの行ってみなきゃ分からないじゃない!」
由紀は意地になっているようだった。僕は、ここで駄々を捏ねてみても仕方が無い、と思ったんだ。どうせ無理矢理突き合わされるのだ。だから僕は早々に観念して由紀に付き合うことにした。どうせ家にいてもやることは無いのだ。
 それにしても
『満月の日、月が上がり始める頃』
と髭おじは言ったがこれは中々微妙な時間だ。秋も深まり冬を目の前にしたこの時期、日々夕闇の訪れは早まっている。『上がり始める頃』なんていったい何時か検討が付かなかった。僕らは結局、先週行ったのと同じ時間、まだ明るい時間に神社に着いた。明るいといっても山の斜面にある神社は、薄暗く、静まり返っていた。たしかに天狗や妖怪が出てもおかしくなかった。僕は、暗くなった時のことを想像して身震いしたものだ。
 でも、初秋の夕方はなかなか暮れなかった。だから僕らは暇潰しに境内で何度も競争した。境内の隅から隅まで大よそ三〇メートルほどの距離だった。クラスで一番足が速い由紀に僕が叶う筈が無かった。それでも僕は繰り返し由紀に挑んだ。もう数え切れないほど繰り返した時、由紀が突然
「きゃ!」
と叫んだ。振り向くとうつ伏せに転んでいた。それでようやく僕は彼女に初勝利したのだ。しかし元来負けず嫌いの由紀が、悔しがるどころか右ひざを抱えて顔を歪めていた。その痛がり方に僕は心配になり駆け寄った。
「痛い、膝打った。石で切ったみたい」
由紀の膝からは血が流れ出していた。
「ああ、ひりひりして沁みる」
傷口には幾つもの小石や泥がめり込んでいた。
「汚いね。膿んじゃうかな?」
気丈な由紀が珍しく気弱なことを言った。たしかに血が泥で濁るほど汚れていた。「痛い痛い」と呟き続ける由紀に僕は
「帰ろうよ!帰って洗わなきゃ」
と言った。でも由紀はそんな僕を少し見詰めた後、首を左右に振った。
「え?なんで?このままじゃ膿んじゃうよ?」
「だって今日こそ、天狗見なきゃ」
「えー?!信じてるの?嘘だよあれ、絶対嘘!」
「分からないわ」
「分かるよ。だってこの間だって嘘だったじゃん。髭おじが自分でお面被ってただけだったでしょ」
いくら僕が説得しても由紀は首を縦には振らなかった。
「しょうがないな。天狗なんかなんでみたいのさ」
「天狗が見たいんじゃないわ。願いを叶えたいの」
「願い?」
僕の問いに答えず、由紀は遠くを見詰めた。この時、由紀にどんな願いがあったのだろう。僕にはそんなことは想像も出来なかったし、僕が関心があったのは、由紀の怪我だけだった。
「じゃ、どーすんの?そのな脚じゃ、まずいでしょ。ほんと腐っちゃうよ」
「じゃ、舐めてよ」
由紀がぶっきらぼうに言った。僕は何を言われてるのかよく分からなかった。
「心配してんなら早く舐めて綺麗にしてよ」
どうやら傷口を舐めろと言っているらしい。僕はそこを見た。流れ出た血は既に真っ黒に変色し、泥や小石と混ざり合ってグロテスクな姿を見せていた。僕は由紀に
「えー?」
と言って抵抗してみたが由紀は許してくれなかった。
「ちょっと早く綺麗にしてよ。あたしの脚、ホントに腐っちゃうよ!」
と怒り出すのだ。更に僕が「えー」と言って渋っていると
「痛い!なんか沁みてきた。痛い!痛いよう」
由紀は涙を浮かべながら訴えるのだった。僕は仕方なく由紀の言うことを聞くことにした。由紀の膝に口を当てた。どす黒い血は鉄の味がして、それから小石や泥が口の中に侵入してきた。苦い味とともにザラ付く舌触りに僕は思わず口を外した。
「ペッ!ペッ!」
と由紀の血もろとも吐き出した。それは僕の唾と混じり、元の赤い色が溶け出していた。
「ねえ、まだここが汚いよ。ちゃんと吸ってる?」
由紀の非難がましい視線を受けながら僕はもう一度由紀の膝を吸った。再び、土と小石の味、それから血の臭いがいっぱいに拡がった。
「痛いよ、たく!もっと優しくしなさいよ」
それから由紀は「愛情が足り無いんだよな」と独り言のように呟いていた。なんだかその言い方が由紀らしく無いような気がした。僕は間違えて別の女性の膝を吸ってるような気がして、吸いながら横目で顔を見上げた。そこには母がいた。母の美和が眉を顰め、不愉快そうな視線を僕に向けていた。母のそんな顔を僕は初めて見た。いつも微笑を絶やさず、穏やかな視線を僕に向けてくれた。その母が・・僕は見知らぬ母の顔を見て、なんだか怖くなった。何か大切なものが壊れるような気がしたんだ。
でも、僕はすぐに自分の馬鹿げた考えに気が付いた。もう一度、横目で見上げるとそこには母ではなく由紀の顔があった。当たり前のことだ。だって僕は由紀の膝の傷口を吸ってるんだから。でも、と僕は思った。知らぬ間に由紀は昨日までの由紀と違ったような気がする。真っ黒で男の子のようだった由紀は消え、随分と白くなった。まるで美和のようだと思った。母娘とはいえショートカットの似合う由紀と長い髪がぴったりの美和ではタイプが違うと思っていた。でも、こうして見るとよく似ていた。
「何見てるのよ?いやらしい!」
由紀が僕の頭を叩いた。粗野なところは変わらない。それで僕はなんとなく安心した。何に安心したのかよく分からなかったが、何故かほっとしたんだ。
「ちょっと、まだ?なんだか沁みる」
由紀に促され、僕は残った汚れを舌で吸った。その時、短いスカートから伸びた脚が僕の目に入った。それは、いつそうなったのか?僕の知らぬ間に随分長くなっていた。そしてそれ以上に僕を驚かせたのは、そのその脚の太さだった。黒い棒切れのようだった由紀の脚が、力強い脚に変貌していた。僕はその脚に見入ってしまった。
「何見てんの!」
由紀が再び僕の頭を叩いた。今度は二度三度と繰り返し叩いた。
「パンツ見てたでしょ!いつからそんなエロ餓鬼になったんだ!」
由紀は僕の顔に両手を伸ばし、両頬を強く抓り引っ張った。
「こうしてやる!このエロ卓め!」
「イテテテッ!痛いよ。やめてよう」
その時、ひとすじの風が吹いた。まるでその風が夜の闇を運んで来たとでもいうように、突然あたりが暗くなった。僕らは驚いて辺りを見回したものだ。由紀は僕の頬を抓っていた両手を離し、立ち上がった。
「夜になるね」
僕も立ち上がり、二人で空を見上げた。まだ月は昇って来なかった。でも、夕方を飛び越して夜になったような気がした。いつお月様も突然顔を出してもおかしくないと思った。
 僕らは、まるでその瞬間を逃さないように、とでも言うように鳥居の方へ走って行った。
「そろそろ出てくるかな?」
僕らは鳥居の下に並んで立ち、真っ黒になった空を見上げた。
「月ってどっちから昇るんだっけ?」
「馬鹿ね。東からに決まってるでしょ」
「じゃこっちだろ。でもさ全然見えないよ。もうこんなに真っ暗になったのに」
僕らは顔を真上に向けたまま、その場でくるくるとで回転した。東から南、西、北と回転した時、一瞬目が回って目眩がした。が、気を取り直してもう一度空を見上げた。その時、真ん丸な月がまるで壁掛けの絵であるかのように夜空に浮かんでいた。
「やばい!願い事をしなきや!」
由紀が叫んだ。月は僕らの知らないうちに、僕らの背後を通って昇っていたのだ。
「早く!たくみ!」
「ええ!おれが?」
「そうよ。でも『ゲームが欲しい』なんて駄目よ」
「ええー」
無理に促されて僕は頭を悩ませたが特に願い事なんて無かった。あるとすれば母とずっと一緒にいたいということだった。将来結婚しても同居しようと思った。血の繋がる子供は由紀の方だったが、女の由紀はお嫁に行くだろうから、僕が一緒に住む方が理に叶っている。
 しかし、待てよ、と僕は思った。同居ってことは父も一緒じゃないかと。父と一緒は嫌だ、ああもう母ちゃんは何で父ちゃんなんかと結婚したんだ!、母ちゃんを虐めてばかりいるくせに!もっとも父ちゃんと結婚しなければ僕の母ちゃんになることは無かった訳で、ああもう面倒臭い!
僕がそんな風に迷っているのを見て、由紀は苛立ったらしい。
「何やってんのよ?早くしなさいよ!お月様が天辺に昇っちゃうよ!」
由紀に怒鳴られて僕は、
ええーい、父ちゃんなんかいなくなっちゃえ!
などと心で思ったんだ。その時、突然由紀が僕の口を塞いだ。
「変なことお願いしちゃ駄目よ!」
何で?と僕が言おうとすると先回りするように由紀が
「父ちゃんのこと悪く言おうとしたでしょ」
と言って僕を睨み付けた。
「ほんとにたくみは馬鹿なんだから」
「勝手に決め付けんなよ!違うこと考えてたかもしれないじゃないか」
「へえ、じゃ何お願いしてた?」
「え!ええ、それは」
「ほら見なさい。まったく、家族の不幸を願ってどうすんのよ。願いが叶うどころかバチが当たるわ」
僕は反論のしようも無かった。でも、そんなに真面目に考えることもないじゃないか、と僕は思った。
 その時、
ガサッ!
と草木を揺らす音がして、
ドン!
と何か大きなものが地面に落ちる音がした。
「なに?」
由紀が不安そうな声を出した。僕らは音がした方に目を凝らした。しかし、そこに見える暗闇は静まり返っていた。
「狸とか?」
と僕が小声で由紀の耳元に囁いた時、僕らが見ている方とは別の方角――僕らの左手から
「う!ううん!あ、ごほん!」
という咳払いが聞こえた。それは聞いたことのある声だった。
「あれ?髭じい」
すかさず由紀が駆け寄ると髭じいは気まずそうな顔をしながら
「暗いだろ。心配だから見に来たのだ」
言い訳がましく髭おじが言った。僕はなんで髭おじが困ったような顔をしてるんだろう、と不思議に思いずっと顔を見ていた。すると突然、
「何それ?」
と由紀が叫んだ。髭おじの右手を指していた。何かの箱を持っていたのだ。
「何よそれ?」
「あ!ああ、これ。これはゲームソフト」
「何でそんなもの持ってるの?」
「え!ええ、欲しいってお願いするのかと思って」
「はあ?」
由紀が呆れたような顔で髭おじを睨んだ。髭おじはその視線に耐えられなかったらしい。一度、俯いてから僕に向ってそれを差し出した。
「馬鹿みたい!」
由紀は両手を上げ、首を左右に振って髭おじを責めたが僕はとても嬉しかった。
 でも、僕はゲーム機を持っていなかった。それは我が家の経済的な事情だから仕方が無い。だが、そんなことはどうでも良かった。機械なんて淳司でも修でも憲次でもいいから貸してもらえば済むことだ。僕にとっては「持ってる」ということだけで十分な満足だった。
「髭おじ、ありがとう」
と僕は髭おじを見上げた。髭おじも僕を見て笑った。由紀はすっかり呆れ返ったという顔で僕らを睨みつけていた。

 僕らはまた、髭おじと三人連れ立って帰った。山門を出て線路沿いの道に差し掛かった時、髭おじが煙草に火を付ける為に立ち止まった。その隙を狙って僕は由紀に耳打ちした。
「やっぱり髭おじの嘘だったろ」
僕は髭おじからゲームソフトを貰って舞い上がっていたんだ。も由紀に対して勝ち誇ったような言い方をした。
「だいたい今時、願いが叶うなんて子供騙しな話する奴もい無いよな」
「ああーら、でもたくみは願いが叶ったんじゃない」
由紀は不機嫌そうに眉を顰めながら嫌味っぽく言った。そして僕を置いてけぼりにしようと早足で歩き始めた。
「おいおい、お前達、早過ぎるぞ。もう少しゆっくり歩け」
髭おじが慌てて僕らの後から小走りで付いて来た。しかし、由紀は更にスピードを上げた。僕もつられた。僕らはまるで競歩の選手のように早足で歩いた。
「ちょっとおい!二人とも。もっとゆっくり!」
後方からまた髭おじが叫んだ。すると由紀は更にスピードを上げた、いよいよ小走りに走り出し、ついに全力疾走に近い速度で走り始めた。僕も必死で追い縋った。次第に、髭おじの
ハアハア
という息を切らす音が遥か後方に消えて行った。
「もっとゆっくり歩けって!おーい!」
そう叫ぶ髭おじの声がどんどん小さく聞こえていた。
 僕らが僕らの家のある袋小路に着いた時は、髭おじの姿はすっかり見えなくなっていた。僕らはその時、ちょっとした異変に気付いた。
 袋小路は相変わらず真っ暗なのに、僕らの家からだけ煌々と明かりが漏れていた。いつもこの時間になると母は台所にいた。その時、居間の電気は消していた筈だった。ところが今日はそこに明かりが点いていた。誰か客でも来てるんだろうか?と思ったが、こんな夕食時に来るような客は今まで居なかった。僕らは恐る恐る家に近付いた。そして玄関の引き戸に手を触れた瞬間、僕らは雷の音を聞いたと思った。
 音が去ってから音の記憶を手繰り寄せると、それは雷ではなく雷のような声だった。それも聞き慣れた父の声。父が帰ってきているのだ。なぜ?僕と由紀は顔を見合わせた。
 父は夜勤専門の警備員だった。だから今ここにいるということは、仕事を休んだということになる。更に雷のような声を張り上げて荒れているということは、また仕事を首になり、その鬱憤を母に手を上げることで晴らしてるのに違いない。
 僕らは凍りつくようにその場に立ち竦んだが、全身に力を込めるように気を取り直して家の玄関に飛び込んだ。すると、ちょうどそこへまた父の雷のような怒声が聞こえた。


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